なんだか、腹が痛む。
理由は解っている。
何日か前に自分の臍はどんな感じだろうかと思って、覗き込むと臍のゴマが気になったのでそのまま手でとっていたら、臍のまわりがシクシクし出してきてしまった。
子供の時にも臍のゴマをとっていて腹が痛くなったことがあったが、その時と同じ様な気がする。
臍の掃除をする時は、横着せずオイルを含ませた脱脂綿をつけて臍のゴマをふやけさせてから、綿棒かなにかでやさしくとってあげるのが良いようで、くれぐれも爪で引っ掻いたりしないように注意しましょう。
しかし、とった臍のゴマを見ていると、なんだかそのまま捨てるのが惜しくなってきてしまうから不思議だ。
なぜだろう?そのままサッサと捨ててしまえばいいものを指先でクリクリしてみたり、少し潰して中を確認したり、匂いを嗅いでみたりなんかしている。その匂いは決して良い匂いとは言えないが、でもしばし嗅いでしまう。
本当に不快はものだったら、すぐに捨ててしまうだろうが、臭いと思いつつもなんだか無下には捨てられない気分になってくる。
なぜなんだろう?
みなさんはこんな経験ないですか?
いや けっこうあると思います。
臭いと思いながらも、自分の身から出てきたものには、けっこう愛着が湧くのではと思います。
アタマでは汚いとか、こんなことをしている姿を誰かに見られたらどうしようとか思ってしまうかもしれませんが、自分の中の何処かで、この新陳代謝の産物に対して「ありがとう」とか「ごくろうさま」「おつかれさま」といった感じのものがあるのではないでしょうか。
臍のゴマも垢の一種だそうです。
垢というと不潔なイメージの方が先行してしまいがちですが、垢も垢になる前は一般的に知れ渡っている働き以外にも色々な面で立派にお勤めを果たして、垢となっているわけですから、もちろん後生大事に貯めこむのも良くないですが、汚いものを排除するという感覚ではなく、「今まで ありがとう」という気持ちで別れの時を迎えるのが良いと思います。
別れ惜しくて、舐めたり食べたりしてしまうのは行き過ぎですので、キチンと区切りはつけましょう。
今日は、風呂に入ったらあまり肌をゴシゴシ洗わず、お勤めを果たされたヒト(角層)だけ洗い落とすような気持ちでやさしく洗い、サッパリしたらサッパリした気持ち良さも味わいつつ、洗い落とされたヒト(角層)には「ありがとう」と言って別れたい。
腹のシクシク感を感じながら、そんなことを思った昼下がりでした。
友松 誠。
あっ 食事前だった人、ごめんなさい。