え〜、初日のブログを見て真剣に旅行相談の電話をよこさないで下さい・・・
心配な福田が二日目を担当します・・・
ETCのどこまでも1,000円の企画が始まってはや数ヶ月が経ちましたが(実際にはインチキ企画で1,000円でどこまででも無いですが・・・)
恩恵を受け?皆様は何処かに行かれましたか(実際出口の料金を見て1,000円以上なのを見て腹立ってますが)?
私はと言えばお陰様で福井県〜長野県(鯖街道から木曾街道と銘打って)という意味も脈絡もない様な旅をGolden Weekに嫁と行ってきました。
って前振りが長いのですが、実のところ本当は九州に行きたかったのですよ!
ですが丁度あの時期はと言えば福岡の“博多どんたく”やら広島の“フラワー・フェスティバル”等々、高速を使う人間にとっては大変迷惑なイベント?を多数行っていて、
特に九州に関しては九州上陸前のインターから車が動かないと、某秋穂氏からも聞いていたので、断念!
以前から候補のあった中部近郊の旅と成った訳です・・・
何故か九州には昔から惹かれるものがあり、過去に何度となく行ってはいるのですが、DNAが騒ぐと言いましょうか、ことある毎に隙あらば行こうと考えているDNAです・・・
しかし、如何せん距離が長い!500Km以上と時間にして約8時間弱は要してしまうので、かなり気合いを入れて行かないと、途中で挫けそうになります・・・
どうして九州かと言えば色々と理由は有るのですが、やはり歴史の舞台に多くなっていると言うのがマニアとして大きな要因で、
特に私の琴線に響く事が数多くあり、“戦国時代”は言うに及ばず、“幕末”の回天の舞台にもなった所であり、殊更に血が騒ぐのであろうと思います。
そして、皆さんご存じであろうと思いますが毎年恒例、来年度のNHK大河ドラマ(史実無視と大評判、マニアご立腹の)が『龍馬伝』となっており、
長崎では記念のイベントも早速行われてるとのことです・・・
因みにキャストも不満タラタラで、龍馬の福山雅治は長崎出身は分かるのですが、細身で男前すぎてNGだし、勝海舟の予定である武田鉄矢(福岡じゃん!)じゃ江戸っ子ぽく無いですし・・・
ここ数年続いている大河のトレンディ化が益々顕著に現れております、以前の“独眼竜政宗”や“武田信玄”などキャスト内容も含め、
マニアを納得さすような内容にして欲しいと、強制的に受信料を持って行かれている私らとしては思う訳です・・・
更に因みに再来年の大河ドラマも既に決まっていて、『江〜姫たちの戦国〜』だそうです。
脚本はお馴染み“篤姫”の田渕久美子氏であり、タイトルだけでも織田・豊臣・徳川の時代を生き抜いた三姉妹の人間関係を絡めつつ、
ホームドラマチックに家族愛とか姉妹愛などなど描きそうで、今からゲンナリしつつありますが、視聴率のとれそうな“戦国”と昔はサッパリでしたが、
“新撰組”の成功で視聴率がとれるようになった“幕末”、この二時代のヘビー・ローテーションに成りそうな予感で今から悪寒がします・・・
この大河ドラマも、いわゆるNHK商法の一環で、大河が放送している一年間は地元に観光客がワンサカと押し寄せ、一時、人や若干のお金の流れが良くなることから、
地元をあげての誘致活動は元より、色々とここでは書けない位の内容も有るようです・・・
一例としては、昨年の大河だった“篤姫”の名称をNHKエンタープライズ(子会社)が放送発表直前に商標申請、登録し地元の企業が
いざ大河が始まり、地元の観光用にとお菓子とか焼酎とかに“篤姫”の名称を使おうと思っても、それなりの金額をNHK様に上納しないと、使用出来ないという事態が起こったようです。
これ、その前の“風林火山”でも同様でしたようですので(『大河ドラマ風林火山』って名称ですが)
多分『龍馬伝』や『江(こう)』も既にとられてるんでしょうね・・・さすが濡れ手に粟のNHK商法です、歴史上の人物で商標をとるなんてアコギな集金システムです・・・
大河ドラマ舞台!という華やかな部分のウラにはこの様なドロドロのカラクリが存在してる訳ですねぇ・・・
以前、大河でやったチョー・マイナーな『毛利元就』なんて、大河の期間に建設した施設って数年で邪魔になって朽ち果ててましたからねぇ。。。
惨いもんです、大河の間は地元の人たちなんて、違法駐車やポイ捨てゴミに悩まされた挙げ句に、地方でわざわざ予算組んで観光施設を建設して残ったのは借金だけみたいな・・・
話長くなりましたが、これって何にでも言えることで、物事には“ウラもオモテ”も存在すると言うことですねぇ
額面だけや、看板だけを信じちゃうとトンでも無いことがよくあって、これは我々の業界にもよく見られる光景でもあります。
ウエブ上にも“○○歴ウン十年”とか“肩こり・腰痛も一発!”って何が一発なのか理解不能ですが・・・
まぁ、まことしやかに色々な言葉やら症例やらをこれでもか!と云わんばかりに書き連ねてあるのは滑稽を通り越し、同業者ながら不安に成ってきます・・・
自身の施術法の紹介位なら納得出来るのですが、こういう症状だった人がこう良くなったとか、今迄こんな人がこれ位、どうしてどうなった等々。。。
本当の臨床家で有れば、世の中に10人の人が居れば十人十色、同じ状態の人や、同じ症状の方なんて居ない!って事くらいは解りそうなものなのですが
その方にとっては“腰痛”は腰痛であり、“肩痛”はあくまでも肩痛であって、十把一絡げの全て同じ人“症状疾患別”にみているだけなのですねぇ・・・
それを見るだけでもその先生がどんな臨床を行うのか想像がつきます・・・
身体は要求として単純に身体を見て欲しいと思っているだけで、その手段として、痛みを表現しているだけであり、決して症状を見て欲しいとは思ってないと思います。
それを我々臨床家が身体とどう真摯に向き合い、対話をしていくかが誤魔化さない身体とのお付き合いのような気がします。
現代人は全てマニュアル化したがる傾向があり、こういう時にはこう、こうなったらこうなど 転ばぬ先の杖をつきすぎるのでイマジネーションが乏しく、創造力も欠ける傾向があると思います。
頭をぶつけながらも試行錯誤をし、結果導き出されるものこそ本当の自身の力と成っていく様な気がします。
ソウイウ臨床家にワタシハナリタイ(By 宮沢賢治風)・・・