2 操体の設計図
人間は、自分の頭の中に無いものを創り出すことは出来ないだろうと思う。操体も、橋本師が自分の中に在るものを表現して来たプロセスである。敢えてプロセスと書いたのは、橋本師御自身も時代によって変化され、それに伴なって操体も進化してきたからである。
鋳型があって、それにうまくはまるものがあれば鋳物が出来る。DNAとm-RNAによるタンパク合成を想起させる。
橋本師は、疾患現象に伴なう生体の歪を正すことにより治療が可能である、と考えた。というよりも、信念を持たれた。しかし、それが揺いだ時もあったことを告白しておられる。「(前略)その経験により、基礎構造のもつ可能性への信頼が誇大妄想ではなかった実験をすることができました。(後略)」(「生体の歪を正す」)
橋本師は初め、正体術に工夫を加えた方法で自己の医学を表現された。しかし、“つらい方から楽な方へ”という問いかけでは方では、動診を通せない患者も増えてきて、間に合わなくなってきた。1980年代の初め頃より「気持ち良さで治るんだ。」ということを口にされる様になった。この頃に何かエポックメイキングな事件があったのではないか?
晩年の橋本師は、超古代文字である「秀真伝(ホツマツタエ)」や「相似象」を研究されていた。それらの中に「気持ちの良さで治る」という一節が在ったのではないか、と筆者は想定している。(今後の研究を待ちたい。)
「快をききわけさせて、快を味わう」という新たなコンセプトを加味するところまで到達しながらも、残念ながら、橋本師には生命時間が足りなかった。80歳を過ぎてから身体的に不自由になられて、1983年には引退され、具体的な方法については、見守りアドヴァイスを与えながら後代(三浦先生、今先生)に託された。
山野真二