この頃、隼人の歴史について調べる機会を得た。
東京では、鹿児島出身というと、九州男児だねと言われることが多い。
もう少し詳しい人だと、薩摩隼人だ、と言われる。
実はこの二つの差は大きいものなのである。
地元で暮らしている時は、九州男児という言葉を使われることなどまず無い。
それに対して、薩摩隼人の名称は地元の人々の間でも使われるものである。むしろ誇らしげにである。
とはいえ、隼人の歴史についてそれほど深く理解している訳ではなかった。
古代の原住民の呼称である事を僅かに知る程度であった。
先日、三軒茶屋のとある店での飲み会に参加した際に、隼人や古代史の話題が出た。
雑学的なものではあるが、非常に興味深いものであった。
もともと歴史は好きなのであるが、興味を持ったきっかけが、幼少の頃に見た大河ドラマの「独眼竜政宗」や、時代劇の「三匹が斬る」であった為、その知識の大半が封建時代のものに限られていた。
隼人は朝廷で天皇の守護人として宮門警護の任についたと云われている。
隼人の語源は、
「隼人は波夜毘登(はやびと)と訓(よむ)べし」「隼人と云者は、今の大隅薩摩二國の人にて、其國人は、絶(すぐ)れて敏捷(はや)く猛勇(たけ)きが故に、此名あるなり」(古事記伝 本居宣長)
また、四神思想において南方を守護する朱雀(鳥隼)に由来する。
記紀によると、天孫ニニギは筑紫の日向(ひむか)の襲(そ)の高千穂へ降りる。(天孫降臨)
天孫降臨とは、朝廷と天皇誕生の物語である。
なぜ畿内ではなく日向なのか。
いずれ東征するにしてもである。
日向という文字の為、てっきり宮崎県を指すものだと思っていたのだが、どうやら、古代の日向(ひむか)と近代の日向(ひゅうが)とは別物らしいのである。
ここには、朝廷と隼人の因縁が隠されていた。