東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

あかりの日。


今日10月21日は、あかりの日。
ウィキペディアを見ると、1879年の10月21日に、トーマス・エジソンが京都産の竹の繊維を炭化させたフィラメントを用いて白熱電球を完成させたことにちなんで、日本電気協会・日本電球工業会など4団体が1981年に制定。あかりのありがたみを認識する日。となっている。
これを読むと、文章に誤りはないが、私みたいな単純な人間はエジソン白熱電球を発明したと思ってしまう。
確か自分が小学校の時は、エジソンが発明したと習った記憶もある。
しかし、白熱電球を発明したのはイングランドの物理学者であり科学者であったジョセフ・スワンという人だという。
スワンは1848年頃には既に白熱電球の実験に取り組んでおり、1860年までには発光に成功し、イギリスにおいて特許が認められ、その後技術的な面や素材面で改良を重ね、1878年12月には白熱、発光の寿命を40時間に延ばし特許もイギリスで認可されていたという。
エジソンも1878年には本格的に白熱電球の研究に取り組んでおり、最初に作った白熱電球は45時間の寿命であったが、1879年10月21日に京都産の竹の繊維を炭化させたフィラメントを用いて完成させた白熱電球は1000時間以上も白熱、発光したといいます。
これは日数に直すと40日以上ということになり、単に先に発明し特許を取ったという面ではなく、人々の実用に適したという面でみれば、エジソン白熱電球を発明したと広まっても仕方のないことかもしれません。
また、エジソンは寿命の長い電球を完成させただけでなく、これを広く家庭にまで普及させる為の電気事業システムも考案しました。
電球のあかりを灯すには、その家庭に電気がなければなりませんから、発電所を作り、送電線を引き、各家庭の電気工事をする必要があり、そのシステムに必要な発電機やら絶縁物やら、細々としたところではソケットやスイッチ類までの新たな発明や、電気関係以外でも水力発電所のダムのセメントまでも発明したそうです。

なんだか、「あかり」について何か書こうと思っていたのに、またなぜか脱線し、エジソンについて色々と調べてしまっていました。
なぜなら文献によっては発明の年代が違っていて、あかりの日の由来とくいちがってきてしまう内容であったりするため、上記の白熱電球に関する事柄は自分なりに色々調べて、あかりの日の由来に基づき簡単に整理したものですので、本によっては年代が違っていると思いますので、ご了承ください。

しかし、こういうことを色々と調べるのも結構面白く、勉強になるものです。
エジソンの場合、子供向けの伝記として書かれたものと大人向けのビジネス書的に書かれたものでも、もちろん内容が違ってきますし、エジソンが言っていた言葉を訳し解説を入れたものも面白かったです。

でも興味をもったのは最初に読んだウィキペディアにあったもので、そこではオカルト研究という項目の編集文の中でこんな文章がありました。
エジソンは、人間の魂もエネルギーであり宇宙のエネルギーの一部であると考えていた。エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだと考えていた。エジソンの言によれば、自分の頭で発明をしたのではなく、自分自身は自然界のメッセージの受信機で、「宇宙という大きな存在からメッセージを受け取ってそれを記録することで発明としていた」に過ぎないのだという(自分的にはオカルト研究という項目にはしてほしくないのですが)
また「天才は1%のひらめきと99%のあせ」の真意という編集文の中では、この言葉は当時エジソンを取材した若い記者が、努力の美徳を強調するニュアンスに勝手に書き換えて発表してしまったもので、実際は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」との発言だったと後年になって語っていて、自身を自然界のメッセージを受け取る受信機に例えるほどひらめきを重視していたというエピソードの後に、

最高級のひらめきは突然やってきては一瞬のうちに消え去ってしまうものが多い。よいアイデアほど、自分の深層意識のより深いところからやってくるものであり、それが深ければ深いほど、表層意識では意識できないので、いとも簡単に忘れてしまうという。エジソンは、ペンと紙を常時携帯し、思い浮かんだ瞬間には面倒くさがらずに書き留めていた。ちなみにアインシュタインもメモ魔として有名であった。とありました。

そして、操体法の創始者である橋本敬三先生は、心の調和―「救い」と「報い」−と題した文章の中で、
自分は「救い」と「報い」の区別がはっきりわかったので、「救い」の信念に安住し得たのであるが、「報い」の現象の変化性については後年大いに谷口哲学の心の法則の説明によって啓発された。 実相は久遠にして不変の大生命、人類は神の子、というのを縦の真理とするなら、三界は唯心の所現といって、有限現象界においては、人の心の持ちようによって、万象が発展変化するという横の真理があり、人は縦と横の真理の交叉点に位しているのだという。 人類の表在意識において、或ることを心に描き、強くそのことを思い、然り、かくの如く成るべし、と発言すれば、萬象はそのように具現するという精神界の自然法則があるのだという。 思念宣言の質と量との強度によって発現の速度に差があるが、とにかく事態はそのように形成されている。 そのメカニズムは、表在意識は心の極く表面に現れている氷山の一角にすぎないのだが、心の大部分は外からはわからない大きな体(たい)をなして、無数の記憶と経験を包蔵している。 これを潜在意識という。 これが表在意識の活動(心の振動)によって共鳴を起こしてくる。 この振動は初めは弱くとも、次第に表在意識より大きく強く動く。 この潜在意識は単独自己のみならず全人類をふくむ宇宙意識と根底において連なっているのだそうで、潜在意識の振動は宇宙意識の振動(活動)を呼び起こす。 これが自己以外に人や物の活動を発起合成してきて、初めに思い立った個人の周辺に物事をそのように具現化してくるのであるという。 現象の発現というのは、このような機序によって行われるものだそうである。ずいぶんと思い当ることがある。 と書いています。
これも全体の文章の中ほどの一部を抜粋しておりますので、是非「生体の歪みを正す」という本をお手に取り、文章全体に目を通すことをお勧めします。
また、橋本先生の書いたこの 心の調和―「救い」と「報い」―の全体の文章を読んでいただくことで、読んだ人にとって、違う意味での、あかりの日になるのではと思います。


友松誠