東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

歴女・仏女 その1

最近、歴史好きな女子をして『歴女』、仏像好きな女子を『仏女』と言うらしい。
元祖歴女、元祖仏女?としては嬉しい限りである。

ちなみに、うちの屋号、「TEI-ZAN操体医科学研究所」はもともと「貞山療術院」「操体プラクティショナー TEI-ZAN」と変わって
来ているが「貞山」とは、伊達政宗公の諡号(しごう、おくりな:貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名)から戴いている。
勿論、私が仙台に赴く際には、瑞鳳殿(政宗公の墓所)にお参りするのである。

瑞鳳殿の天女。




そもそも私が日本史に興味を持ったのは、小学校二年生の時に読んだ、少年少女版の『義経記』である。もしくはその前に読んだ『一休宗純』(つまり、一休さん)の伝記だったかもしれない。
4歳の頃から児童図書館に通っていた私は、児童図書館の本を殆ど読み尽くしていた。しかし、『義経記』は、どうも7歳か8歳の誕生日に買って貰ったような記憶がある。どうやら、自分で選んで買ったようなのだ。もしかしたら、母方は源氏系だからという話を聞いたからかもしれない。

小学校三年生の夏、千葉市の真ん中にあったマンモス小学校から、千葉市習志野市の境目、今の幕張メッセからもう少し陸地に入ったあたりに引っ越した。当時千葉市の沿岸(稲毛、検見川、幕張辺り)は小学校が雨後の竹の子のように立ち、小学校には毎日転校生がやってくる、という有様だった。
この学校の図書室には、この新設校のガラガラの図書室を埋めるためか、誰かが寄贈した『日本古典文学全集』と、『江戸川乱歩全集』などがあった。当時から日焼けなどはしたくなく(笑)ドッヂボールなど体育系が大嫌いだった私は読書三昧の日々を過ごした。この頃から歴史が好きだったのだが、日本史が好きだと神社仏閣にも興味が湧く。

中学に上がって、仲の良い同級生にMという子がいた。三歳年上のお兄さんの影響でSFを読んでいた。私はSFはどうも苦手だったが、彼女が当時熱狂していた、光瀬龍の『百億の昼と千億の夜(画は萩尾望都)』に出てくる、阿修羅王(作品中では中性的な美少女として
描かれている)で、興福寺の阿修羅像の存在を知った。おそらく、萩尾望都氏も興福寺の阿修羅像を頭に置いて作画したと思われるが、非常に阿修羅像に惹かれたのである。丁度12歳あたりから、私の

歴女・仏女人生
・ロックンロール洋楽人生&洋画&英語人生
・ヨガはじめボディワーク人生
・幼児期から続く読書人生

は、ブレイクするのである(その後も余り変わってないんですが)。
共学の近所の市立中学に行った小学校の同級生達は、色気づいていたようだが、私は私立の女子校に行ったため(お陰様で10年間、女の園で過ごしました。はい)はそんなしがらみ?とは無縁で、思う存分趣味に打ち込めたのである。

その後更に私の歴女・仏女人生にハッパをかけたのは、山岸涼子氏の『日出処の天子』である。これを読み、梅原猛氏の『隠された十字架』(法隆寺のナゾ)を読み、おまけに父の会社の同僚だった井沢元彦氏(当時TBS報道部勤務)が、『猿丸幻視行』で、江戸川乱歩賞を受賞し、サイン入りの本を貰ってきたものだから、更に日本史にはまったのである。なお、父親は池波正太郎藤沢周平ファンで、我が家には山のように本があった。

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

新装版 猿丸幻視行 (講談社文庫)

新装版 猿丸幻視行 (講談社文庫)

話は前後するが、中学の修学旅行は『奈良・京都』だった。同級生は『つまんない』と言っていたが、私はそんなことはなかった。
京都で食べた精進料理は美味しかった。大徳寺の泉仙で鉄鉢料理をいただいたのを覚えている。同級生は『不味い』と言っていたが、そんなことはなかった(笑)。フォーラム実行委員、山本氏がやはり修学旅行で京都で胡麻豆腐を食べて『ウマイなぁ〜』と思ったと書いておられたが、私も『美味しいなぁ』と言って食べたクチだった。

お寺巡りはもうウハウハである。歴・仏仲間とガイドブック片手にお寺巡りと仏像拝観は楽しかった。そして、奈良も楽しかった。

正倉院とか、大仏殿とか、法隆寺とか、もうサイコーである。そして、興福寺でついに阿修羅像に遭遇したのだった。

『やられた・・・。美しい・・・』
この時の阿修羅像の印象は、夏目雅子だ、という感じ。
西遊記』で、初代三蔵法師を演じた彼女はまさに品性のある中性的な美しさをたたえていた。

そして時は流れて(笑)、私はその間、ビックリハウスとか宝島とか、みうらじゅんの「見仏記」とか読みながらも、洋楽と読書は続け、何故か手技療法の道を志し、操体を生涯の学びとして選んだのである。

興福寺は仏様のお住まいをリフォームするらしく、その建設費を稼ぐため(?)約50年以上ぶりにジャパン・ツアーを行うことになった。東京公演は、国立博物館を皮切りに2009年4月末から7月まで。もう、驚く程の大盛況であった。という私は2回も行ってしまったのだが(笑)最初に行った時は3時間待ちだった。やっと中に入ると、中央の円形ステージに阿修羅像が立っており、周囲を女性(主におばちゃん)が取り囲んでいた。

『イケメンだわ〜』とかいう声が聞こえてきたので

『イケメンじゃないつ〜の』『黙って拝観せい』とか思ったが勿論黙っていた(笑)

この時、私のココロの中には『昨日今日の阿修羅様ファンじゃないんだぜ〜ベイビィ』というフレーズが浮かんでいた。

中学の時、私の歴史・仏像趣味を笑った同級生がいた。普通の女子中学生だったら『みんなに合わせなくちゃ!』と秘密を隠したり(自分の特殊な趣味や技能を隠すって、少女マンガでよくあるネタですね)するのかもしれないが、私の場合そういうのは全く気にならなかったので(笑)、笑うヤツは笑っとけ、ワタシの趣味に口出すな、という調子であった。

おそらく、当時の同級生も私の趣味を笑ったことなど忘れて、阿修羅展に行ったに違いない。

そして、阿修羅様もよかったのだが、私が思い切りハートをわしづかみにされたのは、この薬王菩薩様、薬上菩薩様だった。

http://www.kohfukuji.com/property/cultural/113.html

一目惚れというヤツである。お二人とも3メートル60センチの大きな菩薩様で、側屈の法則に適った、優美な立ち姿は今にも動き出しそうであり、実際、私のココロの中では、まとっておられる衣が風にたなびき、半眼のまぶたが軽く動き、印を結ばれているその手が軽く
動いたような気がしていた。
後で説明書きを読んだら、
『兄弟の菩薩で、ともに良薬を人々に与え、心と身の病気をなおしたと言われます』と書いてあった。これは、私のお仕事(操体)とも深い繋がりのある菩薩様ではないか。この時は本当に「ぞわっ」としたのである。

つづく


畠山裕美