東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「人間関係」

私は23歳の時から臨床という場のなかで、自分を育ててきた人間であるから、どうしても診る側、診られる側、つまり「先生」と「患者」の立場のなかでの人間関係が多くなる。又操体を学びに来る人達との間柄も「先生と生徒」という場の中での人間関係、交わりである。相手は必ず目的を持っており、私との接触がある。私の立場は相手のその目的に適う助言者であり、仲介者としての存在である。

私は相手のその目的に適う場の存在に徹する。それなくして人との関係、その基を構築することは出来ない。つまり信頼関係を産み構築しうる土台、基を試され続けるなかで、その関係が熟してくる。相手がその目的を手中にした後の私と相手の関係、継続しうる関係を持ち得るかどうか、それは互いの意志によるものだ。継続しうる関係が成り立つにしても、それは静かなる存在意識のなかで、必要ありし時に存在し、冷湿布のようなかかかわりのなかで関係が成り立つ。静かなる心のゆとりのなかで、はぐくまれるものである。それは、とびきり熱くはならない関係である。域(イキ)を保てる関係である。域(イキ)とは、立ち入らない、干渉しないという域(イキ)である。求め必要とする時に存在しあえる関係であって、常に求めあう存在ではない。人間関係とは自分ありきの関係である。

今私は30名以上が集ふ組織をかヽえている。寺子屋、塾から育っていった仲間、同志、塾生である。志を一つにする、一人一人のイノチの集団、生命の集団である。それは橋本敬三の意志を継承する卵の集団であった。そしてその卵が孵化して自立するまでに育ってきた。彼らは実際に橋本敬三を知らない世代である。彼らにはその像しか知りえない。私という化身をとおして、又師の書籍をとおしてその姿を写し描くしかない。しかし、師が成し成そうとしてきた業績を己(おの)れの生に描写し、己れの生き方に写し出そうとしている、それは自分を知るために、自分の生の目的を知りえるゆえに写し出そうとしている。光のごとく写し出したいと思う意識に従っている。自分の生-人生に光をあてるゆえに、光を当て自分が成したいことをみたいのである。

 この集団は己れの意志に従っている。真理を学ぶ一人一人の集団である。静かな汗を流している、そのなかで自分に己れの歓びを与えている。又、共に一人一人がその歓びを共有しあっている、その長に立つ私は、彼らの親の目でみている。橋本敬三先生の化身の目で彼らを見ている私自身は、親の目と兄弟姉妹の目で彼らに親しんでいる。まざっている。橋本敬三の魂、その霊的分身として彼らを見ている。
この分身を介して、私の姉の息子が、そして私の息子が橋本敬三の意志(太極の意志)を継承している。私はすでに私個人ではない。私は自分自身を機動しなければならない。生かされしこの命を機動すること、それが私自身であることを知る。私が機動することは、彼らが機動することである。新たな意識、次元を超えた意識の元で機動していることを意味する。私はその波動を送りつづけ、機動する力である。私は彼らのエネルギーである。互いが学びつづけていることが大切だ。何かを感じとることが大切だ。何かを感じとる役割を担う、それが私自身である。そして今、彼らとの距離が「師匠とその弟子」という関係(きづな)で結ばれるように成った。これは一人一人の生涯にわたる関係(きづな)である。永遠、永久につづく関係である。それは血縁なき霊的関係にあって、慈しみあえるもの、ことの成り立ちである。しかし血縁なきとは云ふものの、元を正せば元の起源から生じたこの命であるからして、私を生んでくれた親が違うとういだけのことであり、その親も一からなる存在から生まれてきているのだ。

 人間関係とは信頼関係である。この信頼関係とは、自己との信頼関係でもある。つまり自分自身といい関係なのか、ということが重要な問題(テーマ)なのだ。人間関係とは自己との信頼関係の上に成り立っている。ベターな関係の原則はまづ自己とのベターな関係をつくることにある。なぜなら、信頼関係には責任がある。自己に責任がともなう。それは自分を信頼しているか、愛し許している存在か、好きか、そうした自己肯定で自分といい関係にあるかという責任である。そして人間関係の構築は、謙虚に学び成長しつづけていこうとする自分の姿にある。又その関係とは、自分あってのかかわりごとである。そこから人間関係が生まれる。それは人とのかかわり以上に、己れ自身とどうかかわっていくのがか重要なことだ。己れとのかかわりを良くすることは、とても大切なことである。

 人との関係や、つながりにおいて、まづ自分を語れる人になることだ。それは、自分との関係をより密に大切にすること、自分との対話、自分とのかかわりの時間を常に持つことだ。生活を追いかけてもこの貴重な時間を手に入れることはできないのである。生活時間のなかから少しでも、自分との心の対話、生命時間を意識的に取り込むことが必要なのだ。作り出さなければ入ってこない時間である。人と向かい合う前にまづ自分自身とより親しみをもって向かい合うことで、少しづつ本質的な自分を知ること、それは相手のことを理解する一つの手あてになっていく。

 人との人間関係において、確かなことは良しに悪しきにつけ、そういう人間関係を自ら引き寄せていることである。相手に求めれば求めるほど自由にならない。求める相手は自分自身である。そして相手には与えることである。相手に適うことを与える歓びを得ること、あなたはすばらしい人だ、と認めてあげることだ。それが豊かな人間関係である。なぜ求めれば求めるほど自由にならぬのか、自分の心さえ自由にならないのに、相手の心を自由に操つることはできないのだ。操つるのは自分自身で他人ではない。サギ師は、人をだます前に自分をだますし、偽るのだ。それがまんまと人をだますプロの手口である。それが人をだます秘訣なのだ。


三浦寛