東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

ブログ最終日

一週間のおつき合い、どうも有難うございました。どのような形で、締めくくったらよいのか、思いだけが大きくふくらんで、まとまりのつかない今の心境です。きっとブログ担当の期間に重なったフォーラムの影響でしょう。

今こうしていても、あの二日間の一コマ一コマがふっとわいてきては、次々に重なり、とりとめもなく思いだされてくるからです。この二日間のできごと、その一コマ一コマの感動はどのような言葉で表現しても語り尽くすことはできないであろうと思います。実行委員、役員一人一人が胸(ハート)におさめておくのが最もふさわしいように思います。なにか、言葉にするとあの感動が消えていくような気もします。なんと表現したらいいのか、私達が企画したこととはいえ、我々も含めて一人一人が名指しで招待状を受け取って参加させてもらった、ディナーショーのような、そんな気分を味わったのです。ただ声をかけられて参加したのではなく、一人一人選ばれて、招待状を受け取った者だけが、参加を許されたような思いがします。それだけに、あの二日間のあのハーモニーのすばらしことといったら、招待状を受け取った参加者のみが味わった、夢のような感動と興奮のひとときをだったと思います。

僕は君達に、あえて厳しさを求めて接してきました。しかし、君達の姿に接した島津先生、そして奥様が私に直接言われた言葉が印象に残ります。「なんて、すばらしいお弟子さん達なのでしょう。よくここまで行きとどき、育てられましたね。ありがとうございます。」と・・・・・これが人さまの評価なのです。この評価がなくして東京操体フォーラムも成り立っていくことはありません。

たヾ単に、自分と私達がたのしい、おもしろい、うれしい、それだけの学びだけでは一個人、一集団のみの評価であって、それは人さまがくだす評価とは違います。君達の無心にとり組む、心を一つに励んできたすばらしさの中に、人さまは心を打たれ絶賛して下さるのです。この無心さも、厳しく取り組む学びのなかから育ってくるものです。フォーラムは私達の学びの場でもありますが、人さまに公開し、ご披露しているわけですから、人さまの評価も「すばらしい」といふ言葉として返ってくるように努めることです。その為にも、学ぶことの豊かさ、妥協なき自己への厳しさが求められてくるのです。その自分に求められてくる生ける真心が鏡のごとく人の心(鏡)に写し出されてくるのです。それが品性となって人様の心を打つのではないですか。人に対するやさしさ、いたわり、思いやり、いつくしみに顕現するのです。それが「楽しい」「愉楽しい」の違いです。それは自己に対する誠意であり、隣人に向けたマナーです。愛する心です。私が君達に求めている、学ぶということの厳しさとはそういうことだったのです。人さまの評価を得ていく、ということは、そう簡単なことではないですね。私達は学びのなかで、人さまの心を解(と)かしていくことです。真理であることが学びです。それは一人一人が真理の化身であることに目覚めることです。真理が真理の力で立てる、それが自己の目覚めであって、人さまと共感し、調和してまざりあっていくことだと思います。


ブログを終えるにあたって、最後の一言


愛するものの弱さとは
ひとりきりでは
生きていけないってことです

神さまもそうでした

神は愛なり といいます
神さまも愛に生きている
生きる為に
我が息子が、我が娘が必要だったのです
神のその存在こそ、共に生きている姿であって
ひとりっきりでは なかったのです


実行委員の皆さん、ご苦労もあったでしょうが、君達はスゴすぎる、なんてたまげた存在なんだと思いました。本当に大きく大きく成長して実ってくれましたね。私への招待状、ありがとうございます。心から・・

理事長

前列左より
橋本敬三先生(写真で参加)、三浦寛、島津兼治先生、畠山裕美、森田珠水
二列目左より 鵜原増満、小代田綾、佐伯惟弘、秋穂一雄、平直行、友松誠
三列目左より 三浦寛幸、日下和夫、小松広明、辻知喜、岡村郁生、山野真二、山本明、福田勇治
四列目左より 西田尚史、中谷之美、横森昌裕、甲斐田泰平