東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

記憶

操体とは・・・何でも入れることができる器であり、何でも活かせる大きな器である。
だから、各人の興味あることを入れてみたらウンと面白いのだ。
但し、ここで注意して欲しいことが一つある。

操体の器に入れるからこそ活かせるのであって、
操体を別の器に入れてみようとするのでは、全く結果が異なってしまう。

今回一週間、お正月を挟んでブログを担当させて頂いたからこそ、
良い意味で新年早々から目一杯、操体のことを感じさせて頂きました。
光栄です、ありがとうございます。
そんなブログの最後に、現代において本当に多くなってきている心の問題を書かせて頂きますネ。

現代医学の説明では、”鬱病”とは、誰でもかかる可能性がある心の風邪みたいなもので・・・」というのがある。
鬱だけではないが、心の病とは一体何が根っこなのだろうか?

単に個人の問題で済ませて良いのだろうか。
ほんとうの理由はなんだろうか?もう少し深く感じていくことを”からだ”は訴えているのではないだろうか。
僕自身の考えでは、すべての現象には理由があると感じている。
だからこそ、”からだ”は素直であって、”からだ”そのものに非はなのだから・・・。
家族で、本人、からだ、地域社会、地球環境、国家間の関係、宇宙の真理・・・自然に適うことは、すべてに活かせること。

実際操体の臨床では、どんなアプローチをしたらよいのだろうか。
社会生活において、休むことになっていまう原因
大切な想念の問題である。心の傷、トラウマ、PSTDという心理的条件反射・・・。
森田実行委員の話ではないが、心に興味があり、それを生み出す事柄に常に興味がある。
なので、学ぶ機会があればヤジウマしているのだ。

そこで、ある講習会での話と、それを活かした操体の臨床をしてみたい。
ある大震災の時、親が目の前で亡くなってしまうよう等の心理的ショックからPSTDになってしまった子供達がいる。
それを何とかできないか、なんとかしよう!とプロジェクトがあり、
神奈川県の心理学の教授、臨床心理士、カウンセラーを派遣していたらしい。
この話は、その時指名されて派遣された方の講習話である。

専門家からすれば当たり前だが、カウンセリングの基本は傾聴である。
簡単に言ってしまえば、聞くのではなく、聴き取る。そして訊く。
ただ聞けば良いのではなく、常に何を言いたいのか、”本人の言葉”に対して気を配るのだ。
タイミングよくあいづちを打ちながら、相手に呼吸を合わせていく。
変化を見て、伝えてくる言葉を少しずつ繰り返し、様子を見る。
その時は子供相手であり、しかも短期に集中しなくてはならないで、かなりシビアだったらしい。

そこで、その講師は普通のアプローチをあえて取らなかった。

「人の話を聞いてあげることは本当に大切なことだ。それを否定するつもりはない」
「但し、効果があればいいけれど、
 急に変わることは少ない、基本と同じゆっくりと待ち変化を促す、
 相手に同調してあげるアプローチというのが、その場にふさわしいと感じなかった」
「その光景を思い出すたびに、泣きながら苦しんでいる子供に、
 『そうだね、辛かったよね、わかるよその気持ち、一緒にどうしたら良いのか考えてみよう』と言って、
 その子供はその心の傷から救われるのかと言えば、正直難しいんだ」
「だからケースバイケースで、こう言う時は・・・」と、教えて頂いたのだ。

多少僕の主観が入ってしまうけれど、要するにこういうコトだ。
脳の記憶は海馬で司っている。
この脳というのは、”からだ”の反応を整理しているに過ぎない。
(本当は細かく言えば色々書けるのだが、要はそういった説である)

なので、その子供が苦しがっている時に、『どこにお母ちゃんが苦しんでいる姿が見えるの?』と訊いて、
”イメージ”している場所を ”意識”させる。
すると、ある”からだの部位”に必ず反応があるというのだ。
そこがポイントなのである。
そこをどうするのかは、色々な手段や方法があるけれど、
一番簡単でシンプルなのは、目線を変えるのだと言うことだったのです。
これは実際に、その講師のカウンセリングを受けた子供達は、
PSTDを克服した、症状が気にならなくなった、つまり有効だと言うことで証明されたらしい。
つまり、
“カラダ” ”無意識” ”目線” ”脳の記憶” ”反応” ”反射” ”意識”。これはつながっているのだ。

ここで僕の体験した臨床例を挙げてみる。
心下部の痛み(胃炎・十二指腸潰瘍と診断)が主訴の若い女性患者は、
数年前にある被害にあってから、良くなったり悪くなったりを繰り返している。
僕もそれ自体は、問診でも治療後の茶話で話してくれたので知っていたのだ。
不思議なことは、
ある部位に渦状波を通し、聞きわけて頂いている時、話した事がビックリだった。
「実はここ数年、毎日同じ夢を見て、同じ様に汗びっしょりになって夜中に起きるんです」・・と。

その時、瞬間的に閃いてからだが無意識に反応したのだった。
「そのまま目線をOOに通してみたらどうですか?」

後から考えてみると、
そういえば・・・三浦理事長は・・・、
皮膚に問いかける操法として、渦状波を僕に説明してくれた時に、
「一概にイヤな記憶、心の傷と言ってもネ、普段思い出して話をするのと、
 渦状波の最中に思い出すのでは意味が違うからナ」
「その時に思い出すのなら、どんな”心のキズ”が浮かんできたとしても、大丈夫なんだよ」・・・と。

その患者も目線の移動後に、
「アッ怖くないかもしれない!」
「さっき胸にナイフで刺されるような痛みが薄くなってきた」
と言うので、
「それを今なら感じていても良さそうですか?」
「”からだ”に聞きわけてみて・・・」
そこで十数分味わって頂いてその日の臨床は終えたのだが、
そのことに関して臨床後に、あえて一切触れなかった。

そして次の来院の時だった。
「あれからも夢を見ることは見るんですけど、ずっと苦しんでいた夢が苦しくなくなってきて、
 すぐに眠れるようになり、見る回数も減ってきたんですよ。ありがとうございます」
そう言って眩しい笑顔を見せてくれたのです。

これだから操体の臨床はたまらない!心が感動することで震える。
受け入れてくださってありがとうございます。

全てが活かせるとは、自分を活かし、相手を活かす事であり、
自分自身の努力次第で際限なく可能になるのだから。

転機は二年前、第三分析という皮膚にアプローチする操体を学ばせて頂くことで、
かねてから”操体の盲点”であった、”うごきを通せない患者”に対しても、
感覚を聞きわけて頂くことが出来るようになった。

思い起こせば二年前、初めてお願いした個人レッスンの時、
僕は三浦理事長に心から訴えた。
そこでお聞きした事は忘れない。
大きく心は動き、少しずつ更新できる愉しみ、大きく味わえる感動を頂くのだった。

「僕は、橋本敬三先生の説かれている想念に感動し、
 橋本敬三生の哲学思想があるからこそ、
 技術ではない操体を学びたいと思い、学ばせて頂いているのですが・・・」

「現時点でも、痛みが取れると言うことに関して言うならば、
 かなりのレベルで(他力的方法)患者自身は満足してくれる、
 効果のある結果を出せる自信もあるのですが・・・」

「だけど、それに全くと言って良いほど、僕自身が満足できません」

「僕が学びたいことは、操体を学んだからこそ受け取れるものであって、
 それが僕にとって、飛び抜けていなければイヤなんです」

「僕が感じている操体とは、比べられるものではない筈なんです」

「僕は、そこを遙かに飛び超えたいのです」

その時の自分には一体、何が足りなかったのだろう?
何を超えていくのか、何を超えたいのかわからなかったコトがある。

三浦理事長はその時、「皮膚を学びなさい」と教えて下さいました。

そして今現在のレッスンでは、「不可視なものを感じなさい」と教えて頂きます。

時代(次代)の先駆者とは、いつの時代でも困難がある。それは歴史が証明している。
それを乗り越えてきたすごい先師がいる。
僕は、
あの空想好きでボケというあだ名の学童期、
興味と言えばエロまっしぐらのムッツリというあだ名の思春期、
夢想して恋にぶつかり、泣き笑いした特攻隊長というあだ名の青年期、
それは現在も、根っこは全く変わっていないのだ。

変わっていないと言うことは、変わったことがわかると言うことでもある。
だから、はっきりと自信を持ってお勧めする。

『生かされているイノチの営みに、適う生き方を学んでいきましょう』

その扉はいつでも開いているのだから。

一週間お付き合い頂きまして本当にありがとうございます。
まだまだ伝えたいことがありすぎて困ってしまいます(笑)
そもそも操体の学びでは、欲張りは戒められますので失礼いたします(汗)

そして炎のバトンは、静かなる愛の伝道に燃える鵜原実行委員にお渡しいたします。
よろしくお願いいたします。


岡村郁生