東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

原初からの解放(四日目)

前日のつづき
バース・トラウマを再び経験することで、湧きあがってくる恐怖の中で、そこに握るべき手があり、すがって泣ける肩があり、おだやかに力づけてくれる声がある。そういう介助、指南役が必要とされる。介助、指南役はともに呼吸し、ともに感じることが重要であり、安全性とサポートを保証することができるのである。介助、指南役の役割はそこに座っていること。相手のために全存在を提供し、その成長を積極的に見守ること、そしてともに呼吸して、感じることなのである。リバーシングも操体と同じ完全なる自力自療の典型だ。プロセスの単純さを絶対的な信頼関係にしている。リバーシングによってバース・トラウマを通り抜けることができたなら、無意識の内に生まれてきたときに何が起こっていたのかを、今度は意識的に見ることができたならバース・トラウマは一掃されることになる。意識的に経験されたものは一掃される。そして一掃されたなら自分の無意識はバース・トラウマという傷につかまえられてはいない。これが思考の作用過程である。そうなると本当に眼を開くことができる。世界はこの上もなく美しいことを理解する。松はもっと緑で、バラはもっと赤が鮮明だ! 世界はこれほど色あざやかだったのである。子宮の内は快適で良いものだったが、それは到達点ではない、成長の始まりにすぎなかった。子宮は確かに都合のよいものであった。が、依存の生活である。自由については何も知らない。都合がよく安全な生活ではある、が、単なる植物人間にすぎない。バース・トラウマを通り抜けたなら、人生には子宮などが与えてくれることのできない美しいものがあるということを観はじめる。今となっては、子宮は窮屈なものだった。安楽で暖かくて快適であっても独房であったことにはちがいがない。子宮の内の10か月は成長する上で、か弱くて傷つきやすいため、保護が必要であった。10か月も過ぎれば胎児は外に出ることを強くあこがれる。外に出て子宮から自由になりたい。そして、世間の歓びや苦しみを観る用意ができている。
一度、バース・トラウマを意識的に経験し、苦痛の記憶を消し去ることができたなら、きっと驚くにちがいない。眼を開けば、木々は以前よりもっとあざやかで、世界がまったく違って見える。世界はなんてサイケデリックな色につつまれているのだろうと。極彩色はいつも眼の前に絶え間なくあったということを。リバーシングによってすべての記憶を通過したのなら、その子宮内からの記憶は自分に対して支配力を失い始める。まず、誕生を経験することになり、もし、それができたなら、次は誕生の10か月前に起こった死を経験できる。さらにその死も経験したのなら、過去の生も明らかになるだろう。そして、その全体像がわかったとしても、生きていく上で何の意味ももたないということも・・・・・・。
明日につづく