前日のつづき
リバーシングというものの内容に触れると、この呼吸を発見し、体系化したレオナード・オルはこのように言っている『リバーシングは人に呼吸の仕方を教えるものではなく、呼吸そのものから自分で呼吸を学ぶ、直観的で繊細な行為である。直観に基づくゆるやかなリズムに沿って吸気と呼気をつないでいくうち、魂であり、呼吸の源である内なる呼吸が、外なる呼吸とひとつに溶け合うのである』と。
リバーシングとは、なめらかに流れるような呼吸を長時間、休みなく、途切れることなく持続させる呼吸法である。決して息を止めず、間をおかず、吸気がそのまま呼気につながっていき、呼気もまた一瞬も間をおかず、そのまま吸気につなげていく。吸い込んで吐くという呼吸の動きが交互につながって入息と出息がなめらかな波動を描いて続いていく、そこに呼吸とエネルギーが連動してくる。深くて速い呼吸をするとそれだけ吸う酸素の量が増える。体内に酸素が増えれば増えるほど、ますます生き生きとして、それだけ動物的になる。動物たちは生き生きとしているが、人間は生きているのか死んでいるのかわからない、再び動物にならなければならない。そうしたときはじめて我々の中により高次のものが展開してくる可能性が生まれる。血液中に酸素が増せば増すほど、それだけ細胞の中のエネルギーも増大し、からだの細胞はそれだけ生き生きしてくる。このように酸素を得ることは体内に電気を生じさせ、この電気が生体エネルギーとして流れ出すのである。体内に電気が生じると、自分の内側深くに、自分自身を越えて進んでいくことができ、その電気は内部で働く。からだには独自の電源がいくつかあり、呼吸を増やし酸素を増やしてその電源が入れば、生体エネルギーは流れ始める。そして、ますます多くのエネルギーが体内を流れ、自分自身で肉体を感じることが少なくなってくる。するとだんだんエネルギーとしての自分を感じはじめ、物質としては感じなくなってくる。
このようにリバーシングの呼吸に入っていくと、実にさまざまな変化があらわれてくる。手や顔、足などに温かくうずくような感覚をおぼえ、それが気持ちよく全身にひろがっていき、あるいは、脈うつようなうずきが徐々に強まり、通常はじめは手、次に顔、足そしてほかの箇所でも筋肉がけいれんを起こし、激痛を伴う場合もある。気が遠くなり、頭がクラクラして、集中力を保てなくなるかも知れない。ほとんど呼吸が止まってしまい、息をするのに大きな努力を要する時間が長く続くかも知れない。吐き気、呼吸困難、筋肉の震えが生じ、体温が極端に上下することも起こる。からだのどこか、それ以前に怪我や損傷を受けていたりして調子がよくないと感じていた部分があると、リバーシングによる呼吸をしている間、そこが過敏になり、より感覚的に捉えることができる。
また自分の出生時のことを驚くべき明瞭さで想い出す人もいれば、胎児として子宮にいた頃を含め、過去の記憶が次々によみがえる人もいる。それは視覚的イメージとしてやってきたり、あるいは現在の肉体が実際にそのように動いて、はっきり表現したりする。そしてどの人も非常に強烈に何かを「感じる」ことは確実である。悲しみ、恥ずかしさ、怒り、不安、コントロールを失った感じ、無防備になった感じ、無力感、純然たる恐怖、そんな感情が波のように押し寄せてきて、今にも圧倒され、のみ込まれてしまいそうになる。つまり、リバーシングを続けていくと、例外なく感情が解き放たれてくる。
明日につづく