東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

靴の日。


3月15日の今日は靴の日だという。
いつもいつも気になっているわけでもないですが、たま〜に靴を買うときなど
なんで革が化けると書いて靴となるのだろうかと疑問に思ってしまう。
ちなみにカバンは鞄と書き、こちらは何となく想像がつきますが・・・。


靴の中の革という字は、革新や革命などの、「あらたまる」という意味の革でもあります。
化の方は、イ=人の立ち姿 + ヒ=体をかがめた姿、又は死体 ということで
人の状態が変わることを意味しているようです。
「あらたまって人の状態が変わる」(あくまで自分の勝手な思いつき)
靴というのは一般的には、皮革製の西洋から入ってきたブーツや短靴を指していると
思いますが、幕末から明治にかけての時代に、この西洋式の靴が入ってくるまでは、
日本人の履物というのは、鼻緒のついた草履、下駄、草鞋などだったと思います。 
鼻緒のついた草履や下駄を履いていた人たちが、西洋式の靴を履きだして、人の状態が
それほどまでに変わってしまった、あるいは西洋に追いつけ追い越せで、人の状態も
変わらなければと靴を含む身なりから変えていったようにも思えます。
しかしこれは、あくまで近代に限ったことであり、それまで日本には鼻緒のついた
履物しかなかったかといったら、そうでもなく、平安時代から行われているとされる
流鏑馬を見ていても、現代の靴に通じるようなものを履いていますし、神社に行けば
神主さんが昔からの装束に、木製のこれも現代の靴と似たようなものを履いていますし、
豪雪地方では昔から藁で作ったブーツのようなものを履いています。
だから、日本にも昔から靴はあったのだけれど、それは特別な行事や地域に限られていき
一般的に生活する人は鼻緒のついた履物を履いていたというか、そうほうが日本の風土に
あっていたから鼻緒のついた履物が履かれていたのではないだろうかと思います。
日本はきもの博物館をはじめその他の資料を見てみると、日本のクツは、古代、中国大陸や
朝鮮半島から伝来したものであり、(せき)や履(り)・鞋(かい)・靴(か)などと、
形態や素材によって細かく表記が定められていた。しかし、それらは日本に定着するとともに、
日本風に変化しつつ形態と用途を定めてきてもいる。こうした「クツ」に「沓」の語が
あてられることが多く、総称として和沓としている。とある。
(単に沓としている場合や、伝来される以前からあったという説もある)
そして、沓は「踏」の略字といえ、平安時代の辞書である「倭名類儒聚抄」によれば
「履・・・中略・・・音李和名久豆用 踏字音沓」とあり、履がりと読まれ、和名では
クツとなり字は踏を用い、その音が沓であったとわかる。とあります。
靴 =革 + 化 の疑問からはじまって 履 → 踏 → 沓 まで辿り着きましたが、
革 + 化 の疑問は残ったままとなってしまいました。
中国大陸でも北方騎馬民族の影響を受けて 靴(か)という文字が生じたようですが
なぜこの字が出来たのかについては調べてもわかりませんでした。


それはさておき、履 → 踏 → 沓 の流れがなんとも面白い。
想像してみると、なんだか、履物を履いてぬかるみを歩いていて踏み込んだら履物が
脱げてしまった→踏み込んで足が離れて→沓(沓)が残ったというイメージになってしまいました。
(あくまで自分の勝手な想像です)
考えてみたら、当たり前かもしれませんが、踏み込むのは足ですよね。
手で同じ様なことをやっても、4足で歩いている動物は別として、人間の場合は普通、
押し込むですよね。
だから、踏むという字は足がついているんでしょうね。
足は踏むことも押すことも出来るんですよね。
ちなみに辞書で意味を調べると
  踏む = 足で体重をかけて上から押さえる。足であるものの上にのる。
  押す = 動かそうとして上や横から力を加える。
と出ています。
非常に簡単なことなのですが、簡単すぎて普段は意識しないと思います。
でも、からだの動きを考えれば、こんな簡単なことで大きく違ってくることも考えられます。
そして、動きを指示(お願い)する立場からすると、一般的にそんなのどうでも良いと
意識関与をないがしろにしていることこそ、重要なのではないかと思います。



友松 誠。