東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

生命エネルギーと感覚(5日目)

前日の続き
仏教の始祖である仏陀は決してクンダリニーについての法話はしなかった。仏陀のからだにクンダリニーがなかったというわけではない。エネルギーの通路がすっきり開けていたためにどんな抵抗もなかったということだ。かくして、仏陀は一度もクンダリニーを感じなかった。ジャイナ教の開祖マハーヴィーラクンダリニーについては一切、語ることはなかった。そのために間違った概念が生じて、マハーヴィーラに従うジャイナ教徒たちは、「クンダリニーなど馬鹿げている」そして、「クンダリニーのようなものは存在しない」という考えを持つに至った。かくしてマハーヴィーラ自身がクンダリニーを感じなかったという理由で、ジャイナ教の伝統は2500年もの間、クンダリニーなどは実在しないと主張していて、それを否定し続けてきたのだ。だが、マハーヴィーラクンダリニーについて何も語らなかったのはまったく別な理由があった。マハーヴィーラのからだにはブロックが一つもなかったがために、クンダリニーを感じなかったのである。故にクンダリニーを感じるということは必ずしも必要なことではないのである。
そして、クンダリニーを感じないことは、チャクラも必然的に無視されてしまう。なぜならチャクラの働きはブロックを破壊するためにのみ必要なものである。それ以外にチャクラはまったく必要とされない。ブロックのためにクンダリニーが滞ってしまったならば、その通路の近くにあるチャクラが滞って進めなくなったクンダリニーのために動き始めるのである。それは非常に活発になる。チャクラは滞ったクンダリニーのせいで活発に動き出す。しかもそれは非常に速く動くためにある種のエネルギーを生じ、このエネルギーがブロックを破壊してくれる。もし、エネルギーの通路が開いていたのならチャクラなどというものは何ら必要としない。そして何も感じることは起こらない。本当のことを言うと、チャクラはクンダリニーを助けるためにだけ存在しているにすぎない。もしもクンダリニーが滞っていたとしたら、そのときには助けはすぐ近くにある。いずれかのチャクラが滞っているエメルギーを引き受けてくれる。もし、エネルギーがそれ以上進めなくなった場合、それは後戻りしてしまう。そして、それが後戻りしてしまう前にチャクラがそのエネルギーを完全に吸収することによってクンダリニーはチャクラの中を動いてゆくことができる。この動くことを通してエネルギーはより活気に満ち溢れてますます生き生きとしてくるのである。そしてそれが再びブロックに戻ったとき、今度はそのブロックを破壊してしまうのだ。したがってチャクラというのはひとつの「取り決め」であって、単なる「手助け」にすぎない。クンダリニーが動くとき、ブロックがなければどんなチャクラであっても感じることなどできない。だからこそ、ある者は九つのチャクラを感じ、他の者は十のチャクラを感じ、別の者はたった三つか四つ、あるいは一つ、あるいは全然感じとれないということが起こってくる。それはその人次第なのだ。まったく実際のところ、チャクラは無限に存在する。そしてあらゆる動きにあってクンダリニーの各、前進ごとにチャクラが脇に待機していて助けてくれる。助けの必要なときには、チャクラが与えてくれるのである。

操体には「連動学」というのがある。からだの動きは連動する、そしてからだのストレス、歪みも連動に基づいている。患部のストレス、歪みはその患部のみでは耐えがたく、持ちこたえられないゆえに、他の局所が肩代わりしてくれる。つまり、疾患を分かち合うのである。この肩代わりがストレス、歪みの連動であり、治癒への手助けとなるものだ。クンダリニーとチャクラの関係にたとえると、ブロックが疾患であり、滞りが症状といった見方ができる。そしてストレス、歪みが連動した局所こそチャクラであると思って差しつかえない。
明日につづく

日下和夫

8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催