東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「継承」〜tres〜その三

その声が聞こえますか?今日(こんにち)の日本を、世界との繋がりをどう見ているのか。
意志を持ちながらも肉体の寿命を終えねばならなかった人達は、どう見ているのだろう?
意思(いし)は遺志(いし)となり、形は変わってもそのまま残っているのではないだろうか?
いや、もしかしたら・・・より強固でより柔軟で、変幻自在の天の意識とは、
僕たちがソレを感じるか感じないかだけの問題なんじゃないか・・・。
小さい頃からの癖は抜けない。
「あなたのいないこのせかい このよでわたしひとりになってもおなじきもちであなたとわたし」
ふとみあげている大好きな雲を眺めていると、そんなことを感じてしまう。
そんなことを感じる。
操体フォーラムインマドリッド”を開催した今回のスペイン、あれこれと奇跡的な出来事があり、あふれるほどでした。
小野田先生と鈴木先生(お弟子さん)に案内して頂いた烏賊揚げの美味しいバル(レストラン)で食事を終え、トイレに行く(スペインは公衆トイレが日本のようにはない為)皆さんを待ちながら外に出てきたとき、木陰で空を見上げた三浦理事長は、プフゥ〜と美味しそうに煙草をくゆらせながら教えてくれました。
「岡村・・・人の姿や髪の色は変わっても、何一つ変化しないことがあるよ・・・それはネ、
 月の光と 星の光 そして 太陽の輝きだけは どこに行っても変化しないんだなァ」
さすが師匠である。いつも操体のことを考え、寸暇を惜しんで向かい合う姿、性別なく惚れ惚れしてしまう。(こんな時、美味Oんぼ風に「日本人の口に合う、あのオリーブが、イベリコ豚のスライスに云々・・」等のウンチクにならない)
しかし、私もすぐ頓智の効いた受け答えの反応をできる訳ではない。
「いや、本当にそうですね!」と言った後は”電流火花がカラダを走る〜”と化していました。
僕の場合ビビッとしてしまった。それからしばらくしても考えているのです。
その意味をじっくりと味わっていると干し烏賊(アタリメ)のように味わえますから。
なにがビビッとさせるのか?ソレは間違いなく僕の意思であって僕の意思ではないように感じるのですが・・・。

さて、ビビッとくる名言を多く残されているのは、橋本敬三先生ですね。
「快からはいろんなものが生まれるし、不快からはなんにも生まれはしない。
原始感覚が鈍ってくると、その判断が逆になったりもするから、
カラダのバランスを整えて、常に感覚(勘)を磨くこと」
                         =橋本敬三先生語録より=
我が師匠、三浦寛理事長との個人レッスンの時のことです。
「オレも橋本敬三先生に言われたことで、本当に参った・・と思ったことがあるんだヨ」
「岡村もこのように言われたらどう思うのか?考えて欲しい」
といって席を立ち、一冊の本を見せてくれました。
それはボロボロになり、ところどころすり切れた本。
橋本敬三先生が卒寿のあと、記念で出版された論想集「生体の歪みを正す」でした。
若き頃の三浦理事長にこれを二冊手渡されて、その一冊に震える指先で、よく見えないであろう
眼でサインをされたそうです。
私が読んだその言葉とは、

『 三浦寛君 あとを頼む おんころや 』 と・・・書いてありました。 

確かに操体法の名称が、「NHKラジオ」や「NHKテレビ」によって全国に広がりつつあるなかで、本当の自然法則を追求している学問体系を、健康体操の類(たぐい)と一緒にされつつあったことを、人知れず嘆き悲しんでいたであろう橋本敬三先生の意志を継ぎ、
日々の臨床から生まれた操体を、治療や予防に止まらずあらゆる方向における基本となるべく研鑽を積むように託されたのです。
それも師匠の直接、直訴願いですから・・・。
その時の三浦理事長は、今の私と同じ39歳だったと聞き、ふと、我がことのように考えてしまったのです。
橋本敬三先生は、名声とか権力とか権威とか、お金に執着しなかったどころか、全くないような方で、有名になってしまったあとの「温古堂診療所」へ次々と押しかけてくる人々に平等に接して、よく話を聞いてあげていたそうです。
そして「操体法」という名称さえ、「名前なんてどうでもいい、大切なのは真理だ。
自然の法則なんだ」と、いつも言っていたそうです
人間は弱いものですから、自分さえ良ければいいと考えたり、他人とは競争するものだとさえ考えたりしています。
しかし、本来は全てのなかにあるひとつであって、ひとつのなかにある全体なのですから、調和ありきなのです。考え方はシンプルが一番。
難しく考えたり、いくつもの答えにある共通性は、“おおらかさ”につながってくる。
ちまたには、「OOが一番良い」とか、「OO健法ってどうかしら」
「OO先生がOOでは上手」とか、「OO治療がOO疾患には効く」
とか、枝葉末節のことを真剣に平気で当然の如く話している臨床家もいます。
それでいいのか?私の問いかけは「アンパンマンのマーチ」のなかにある。

「(前略)なんのためにうまれて なにをしていきるのか こたえられないなんて
 そんなのはいやだ! いまをいきることで あついこころもえる 
 だからきみはいくんだ ほほえんで (以下省略)」
ついてないとばかりにイライラする人の顔、痛みに耐える人の顔を見て感じたことがある。
今願っているのは、キミのしあわせ?ボクのしあわせ?
いったい誰のしあわせを願っているのだろう。そもそも願っているだけでいいのか?
心から僕は他人のことを、自分のことを感じ取っているのだろうか?
まず、自分自身を知って学びとる意志を胸に抱えたい。
「自力自療=操体の原理原則」
元々は元気のある「からだ」を壊しておいて「すぐに治してくれ!」なんて傲慢に過ぎる。
その結果が痛みであり、疾病であるならば、自分の生き方そのものが問題なんじゃないか?
私の師匠三浦寛理事長は、師匠橋本敬三先生の意志を「継承」し、その言葉を誰よりも噛み砕き、天然自然の法則を学びながら適うために、無茶もして血を吐いたこともある。
たとえ、この世でたった一人になったとしても・・・、コツコツ操体を耕していく人間である。そして他の道(治療法)へ逃げることなく、積み重ねることのできる素敵な人間。
私はそんな師匠を持つことができて、本当に幸せだ。そんななかで自分も尊く感じるのです。どうもありがとうございます。


岡村郁生


新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。