東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「継承」〜cuatro〜その四

一週間お付き合いくださいましてありがとうございます。
さて、今日はなんの日でしょうか?(実は東京操体フォーラム顧問 今先生のお誕生日なのです、おめでとうございます〜パチパチパチ)
そして、今日と明日、仙台市にて第27回操体バランス運動研究会がで開催されますネ。
なので今頃は仙台におります(いつも情報管理本部長こと、辻実行委員ありがとうございます)
私、ムーチョ岡村も、三浦理事長と畠山常任理事と、福田(画伯)と山本理事(監督)で、橋本敬三先生のお墓参りに同行予定です。
来月に行われる、『秋期東京操体フォーラム』の招待状を携え、濃厚な日々〜操体活動報告〜をさせて頂きます。(まだまだ間に合いますよ!このホームページにてチェックして下さいネ。皆様の参加をお待ちしております)

さて・・・操体臨床の日々とは、こんこんと水の湧く泉のように、淀むことなく透きとおっている。イノチとは流れであり、一時としてとどまることはない。
まるで「方丈記」の書き出しのようになってしまいました。
(ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし)
イノチの生み出しているカタチ。万人に共通する人間の姿とはあるのだろうか。
カタチとして見える姿と、カタチとしては見えない勢いのようなものは、一定の秩序を保つべくうごき続けているのだ。
その変化を感じることは、生命の存在する意義にも通じる。
生命現象の意味を知ることは、自分自身のルーツを知ることでもある。
操体の創始者、橋本敬三先生の「生かされている」意識を偲ばせるエピソードの一つとして、
三浦寛理事長に語ってくれたそうです。
「生まれてから構成する身分ではなく、生前の身分を知りたい」・・・と。
これはどういう意味なのでしょうか?
悩み、苦しみを常とする同輩にも、「救い」と「報い」の違いを知って欲しい願うことだったのではないでしょうか。
夏に大徳寺にて開催した京都操体フォーラムでは、北村翰男先生が橋本敬三先生とのエピソードを披露して下さいました。
北村先生の若かりし時、橋本敬三先生に質問をしたのです。
「先生21世紀は大変なことになってしまうんじゃないですか?」
・・・しばらく沈黙・・・そしてポツリと「いや、極楽浄土だよ」
エッ??一瞬疑問に思った北村先生は「そんなことなくって、大変に・・・」と言いかけたところ、今度はハッキリと大きな声で、
「いや!極楽浄土だよ!!」と話されたといいます。

天然自然であればこそ、感じ取ることができることがある。
お互いに通じる。からだも常に反応している。
環境は相関し、身近なことは勿論、離れていても共鳴する。
僕を知り、家族を知り、その範囲は広がっていく。
人は皆つながっているのだと知る。
自分は不思議の鏡であり、他人の中に鏡をみれば不思議でも、
両方の鏡の中に在ることを学べるなら、それは真実の自分でもある。
三浦寛理事長に教えて頂いた、皮膚に問いかける臨床では、
僕の意識と患者の意識はありながら、お互いに脇役に徹することになる。
主役であるのは、からだ。
常にからだの反応を感(み)て、常にからだに問いかけて、からだと向かいあっている。
それは響いてくるもの。そして原始から生命の感覚に基づく判断なのかもしれない。
何しろ、私のように一人の人生が変わってしまう。
いや、操体に関わっていけばむしろ、変わらないこととは何かがわかる。
そして関わる人達の生、そのものも変えていくことになる。
だからこそからだを通して伝わる「快」をとおして頂ける学びとは、私にとって幸せそのものでもある。
真摯な問いかけとは、今もってなおお会いしたことのない、橋本敬三先生を感じさせてもらえるのだ。これこそ橋本敬三先生の指示された、救いのなかにある。

三浦理事長の話されている”刺激”ではない”接触”する快適感覚である。
この快は”刺激”と異なり、まるで息をしているかのように自然であり、かつ愛おしい。
臨床でたびたび僕は感じる、この愛おしい感覚とは何なのだろう。
勿論、答えは一つではない。
何となく考えているのは、自然法則の応用とは、生命への恩返しでもあると思う。
なぜなら操体を学び、私の臨床でも減ってきたもの、それは言い訳なのである。
日々愚痴などを言わず、言わなくてよい生き方があるのだよ・・と、我が儘な私を許してくれる。
このおおらかで静かなる「からだ」に、僕自身どれだけ救われていることだろう。
この存在そのものに感謝し、まっ正面から見つめる私の意識を嬉しく思う。
僕にとってのコスモロジーとは、やがて本当の自分に向かう。
今もこうしている瞬間、ソレと向かい合って見つめ合う。そこに僕もいる。
果たして人間の一生とはどこまで自由なのだろうか。
与えられている自由を、意味ある自由として、どれだけ恩返しできるのだろう。

操体を本気で学ぶことで責任を生じる。
この気付きの反映を知った責任を、法則を知った生じる責任を、果たしていく喜びを。
投げられた苦しみの中にも笑みをたたえながら生きていこう。
臨床とは、イノチとの向かい合う意識と共にあり、その姿勢とは必死であればこそ、生を感(み)ることができる。
そして一貫して橋本敬三先生の死生観とは、シンプルで、調和している。
「人間は、“一番気持ちがいいところ”から生まれてきて、“一番気持ちがいいところ”へ還っていくんだヨ」・・・なのだから。

一週間お付き合い頂きまして、ありがとうございます。明日からは、(ナイトセミナーも見逃せない)愛の伝道師、日下実行委員です宜しくお願いします。


岡村郁生


新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。