半蔵(はんぞう)
地球と付き合っていく まるごと操体
からだに問い掛ける まるごと操体
息 生気 意気 胃気 まるごと操体
うまいか、まずいか、食ってみる まるごと操体
感覚世界 まるごと操体
Life 生命 生活 人生 まるごと操体
※テーマは引き続き「まるごと操体」です。 息・食・動・想・環 まるごと操体
「見えるものは、見えないものに触れている」(ノヴァーリス) こういう感覚を持てば、間違いが少なくなるのでしょう。 開催案内 | 2023年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum www.tokyo-sotai.com
東洋医学には、四診(望・聞・問・切)というものがあります。 増永静人先生は、「切診」について、次の様な記述を残されています。 「切切とか親切というねんごろな関係は、表面的なふれあいではなく、深くピッタリくっついていることだから、切診を行なう…
橋本敬三先生は、セックスをレーベンス・テーマとされました。「セックスは神を交えた政事(まつりごと)であり、2人でやるものではない。」という言葉を残されています。 開催案内 | 2023年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum www.tokyo-sotai.com
舌による接触―その最たるものはキスでしょう。 読売新聞「編集手帳」の名コラムニスト竹内政明さんは、「キスとは、1階の都合を2階で聞くこと」と書こうとしたが、止めました。と。 その理由は、「小学生から、これはどういう意味ですか?と質問されたら、…
「団地の庭にツツジの花を指差すのです。とっさに、その”指差し”の指を少しずつ対象に近付けて、花びらに触れるようにしてやると、そこでは、まず、握るということはしない。なんと、その人差指の尖端で輪郭をなぞっているのです。あの舌の先でやっているの…
赤ん坊は生後6ヶ月くらいから、手あたりしだいに物を「なめ回し」ます。 形態の把握はまず舌から、そして舌がすんだら手が、手がすんだら目が、といった順序で進むということです。 そして、三木成夫先生は、こう述べられています。 「人間の知覚とか、ある…
※テーマは引き続き「ふれる」です。 百聞は一見にしかず、百見は一触にしかず 良き出逢いを 開催案内 | 2023年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum www.tokyo-sotai.com
「操体」は、「自力自療」を旨とします。治療者(操者)側の健康を考えられている有難い体系なので、学びを続けて来ました。
「操体」は、深山幽谷に籠って修業したり、また、トレーニングを要する様なものではありません。 日常の中で味わいながら学んでいくものです。自分に合っているので、学びを続けて来ました。
「癒しは、治しに通ずる」という考え方が好きで、学びを続けて来ました。
三浦 寛先生は、「橋本敬三がもし豆腐屋だったら、俺は今頃豆腐屋をやっているだろう。」と、よく話されます。 そんな師弟関係を結ばれた人の話を聴いてみようと、学びを続けて来ました。
人間は昔に戻れません。前に向って進化し、未来を劈かなければなりません。私は、「操体」の中にその可能性を見出していますので、学びを続けて来ました。
「操体」には、日本文化、芸道に通底するものがあります。 私は、それを強く感じますので、学びを続けて来ました。
※テーマは引き続き「何を学んでいるのか」です。 創始者 橋本敬三先生が、何を見て、何を考え、どうしようとしていたのか。それを探求するために、学びを続けて来ました。
最も個性的なものは、各人の「からだ」です。他に二つと無いものです。 操体は、そこに規矩を置いています。ですから、「からだ」に問い掛けるのです。
操体は、「健康医学」の立場から、未病を治し、さらに健康増進を目指します。
「操者」は治療者ではありません。 主役は患者さんの「からだ」です。
操体は、「自力自療」を旨とします。しかし、健康傾斜の大きい人に対しては、操者が付いて介助・導誘を加えます。
動かして診るものは「感覚」です。 快か不快か。そして、快の方向に導きます。
操体法には、視診・問診・触診に加えて「動診」というものがあり、これが他の治療法と一線を画するものです。
※テーマは引き続き「はじめての操体法」です。 創始者、橋本敬三先生の哲学・生命生理観・宗教観等に基づく、健康医学の体系が「操体」であり、操体法は、その一部です。
ちょうどいい質と量の仕事をこなしながら老いて行く ライフ-ワーク バランス ぴったりと入れ子の様に納まった人生与えられた命を生かしきって、去る それが寿命
「ここを押したら治る」と「ここを押して治す」との間には、気の遠くなるほどの距離がある