寺本 雅一(てらもと まさかず)
先日お伝えした畑仕事の延長で、ビオトープの育成にも関わらせてもらっている。 近所の小学校の一角に水を貯められる角型のバットのなかで、ヤゴなどの繁殖の場をつくっている。 ほっておくとこの環境にはアオミドロがわっさりと増えていく。 増えすぎるとバ…
日常生活のなかで植物や野鳥に親しみを感じるようになって、そういった生きものと少し積極的に触れ合う機会をもつようになると、何気ない外界からの情報の入り方にも変化を感じるようになった。 一番はっきりと感じたのは、町を歩いているとき、もしくは自転…
植物探索に続いて、連鎖するように興味を抱いたのは都会にいる野鳥の存在だった。 先日紹介した雑草図鑑の姉妹本で野鳥を扱ったものもあり、 これがたまたま我が家にあった。 散歩道の図鑑 あした出会える野鳥100 作者:柴田 佳秀 山と渓谷社 Amazon (このペ…
(続き) 雑草図鑑を片手に探索をはじめた最初の頃、先日のブログでも触れたとおり、なかなか図鑑に載っている植物を見つけることができなかった。 普段の目線の高さで「この植物生えてないかなぁ」と探していてもなかなか見つからない。ようやく見つかりだ…
(続き) 植物に親しみを感じ、自分なりに探索などしていると、前日のブログでも触れたような「目」の新鮮な感覚を味わう。 新鮮さというのは、目で触れているような、とても穏やかな目の使い方を感じることだ。植物に近寄って観察していても普段感じるよう…
家の周りに自生している植物を探索するようになって、 最初の頃は、なかなか図鑑にのっている本が見つからなかった。 「キュウリグサ」なんていう名前のついた植物は、たくさんの淡い青色のかわいい花が図鑑に載っているが、この花は実際は2mmくらいの大き…
瀧澤さん 一週間のメッセージありがとうございました。 植物を前にしていると、生命の大切な秘密に触れているんじゃないか、というようなきもちになりますよね。 本日からテーマ「free(フリー)」を引き継いで寺本が担当します。 宜しくお願いします。 今年…
今年度春季東京操体フォーラムのメインテーマは、今回のブログテーマにもなっている通り、「臨床と生活にいかす操体法」です。 「いかす」または「いきる」ってどういうことだろうと考えていて 思い浮かんだのは「点」と「点」だったひとつひとつの学んでい…
手でふれて確認する。 足の裏でふれて確認する。 ここ数日ブログで綴ってきた習慣のように、 手や足の裏からの情報に意識が向くような生活を過ごしていると 自ずと「感じる」機会をもつようになります。 普段、何も考えず作業することもあれば、 アタマを使…
昨日は「手」を使う「接触」の習慣について書きましたが、 同様に「足」で接触することについても興味深く感じています。 直立二足歩行の人間は立つ、歩く、座る、立ち上がるなど、生活の基本動作のなかで、足の裏を地面に着けて生活しています。 そのなかで…
昨日「接触」についてのことを書きましたが、私自身も身の回りを見渡してみれば「接触」の機会を失っているように感じています。 こどもの頃は、あそびのなかで何にも考えず色々なものに触れてみていました。 全身でそういった経験を味わっていたように思い…
生命活動は「接触」を伴う現象に溢れているように感じます。 対して、人間の営みは刺激的なものの割合が増えてきて、 気が付いたら生活の多くを占めるようになってきたようにも思います。 操体を学んでいると、度々この「接触」と「刺激」という捉え方につい…
操体を通して学ぶことは、臨床と生活、そのどちらにもいきてきます。 自分自身も操体を学びながら気が付かないうちに、その恩恵を受け取ってきたことを、改めて感じています。 臨床に必要なことを学んでいると、それが自然と自分自身にもかえってくる。 また…
瀧澤さん、一週間ありがとうございました。 本日から直近に開催される春季フォーラムのテーマ「臨床と生活にいかす操体法」を引き継いで寺本が担当します。 どうぞ、よろしくお願い致します。 これは10数年前の私自身の話になりますが、当時は慢性的な片頭…
ことばは「言葉」。 用いられている漢字が言の「葉」となっている。 本来の語源や意味からは離れていくかもしれないが、 ことばにまつわることは「植物的」な営みなのかもしれないなと思う。 普段頭のなかには様々な思考意識があふれている。 それは言葉にな…
今回はからだとことばについてブログをすすめてきましたが、少し視点を変えて、こんなこともことばに通じるのではないかと思うことを挙げてみます。 私たちが「間」と呼んでいるものも、ことばを用いることの延長にあるように感じます。 操体の動診・操法の…
ことばについての学習は、どんな言葉を選んで使っているのか ということ以外にも、波及します。 操体臨床の操法のなかで、ことばを使う。 その際に、操法を介助、補助している操者の発することばが、 どんな対象に向けての問いかけなのか、というのも重要に…
ことばが変われば、からだの動き(うごき)も変化します。 そのことを学習することも操体を学ぶ醍醐味です。 私たちの日常生活は、個々人の身につけてきた様々な習慣によって形作られています。 その習慣によって、その人がつくられているといっても、言い過…
からだというのは、空間から実に素直に情報をうけとっていると感じます。 ことばを発することは空間に変化を与えます。 発せられることばによって、空間を共有しているからだは様々な影響を受け取ります。 からだがこわばるようなことばを使えば、からだは素…
操体臨床の際に、操者が用いることば。 それは空間を介して、伝わっていきます。 相手に。からだに。操者自身に。 操法の際に、介助を与え、接触しているからだ。 皮膚に触れているその様子からも、 からだがたしかにことばに反応しているのが感じられてきま…
瀧澤さん、一週間の投稿ありがとうございました。 バトンをうけとって本日より一週間寺本が担当致します。 今回、テーマは無題とのことですので、最近自身のテーマとなっていることを中心に書いてみたいと思います。 宜しくお願い致します。 操体を学ぶよう…
からだからのメッセージは からだがききわけているメッセージ。 からだはことばをもたない。 代わりに感覚を介していろいろな情報を伝えてくれる。 体調の急な変化など、時にはっきりとした情報として伝えてくれることもあるけれど、 基本的には、しずかなし…
からだからのメッセージは からだがききわけているメッセージ。 休みの日にぼーっとしていると、 「今日は何もしていないなぁ」と感じることがあるけれど、 からだからみれば、何もしていない日は一日もない。 生命活動に「お休み」はない。 しずかにしてい…
からだからのメッセージは からだがききわけているメッセージ。 「考える」というのは、「感じる」のだいぶあとに遅れてやってくる気がする。 感じていることを、ことばに表現する。 感じていることについて、考える。 感じていることを、あじわう。 感じて…
からだからのメッセージは からだがききわけているメッセージ。 からだがききわけているメッセージってどんなもの? からだから伝わってくるメッセージは わかりやすいものもあればわかりにくいものもある。 感覚を通してつたわってくるもの。 いたみ、違和…
からだからのメッセージは からだがききわけているメッセージ。 植物を眺めていたり、葉や幹に触れたり、 木陰でのんびりしてみたり。 こうしていると、落ち着くのはなぜだろう。 植物の生きているスガタは、 空間からみえない何かをききわけている 素直な姿…
からだがききわけているメッセージは 感覚を通じてからだにききわけることができる。 メッセージを素直にうけとることができたら、いうことはない。 それがなかなかかんたんなことではないから、わたしたちは迷い、探す。 しかし、探しても見つからないのが…
瀧澤さん一週間のメッセージ、ありがとうございました。 本日より、寺本がテーマ「からだからのメッセージ」を引き継いで担当します。 よろしくお願い致します。 からだかからのメッセージは、 からだがききわけているメッセージ。 わたしたちを包んでいるこ…
何事もなく穏やかに生活が営まれている。 普段、「普通」だと感じていることが、実はヒトの意識の及ばない生命活動の重なり合いによってささえられ、実現している。 操体はこういったからだにとっての「普通」であることに、新たな切り口をもって学ぶことの…
からだからのメッセージは様々あるが、 日々身近なものとして感じられるものに、 おなか(内臓)から受け取っている感覚が挙げられるだろう。 空腹感、満腹感、お腹の重さ、軽さ、腹痛、おなかが緩い感じ、何故か分からないけどおなかが鳴っているとき、床に…