寺本 雅一(てらもと まさかず)
操体の創始者、橋本敬三先生の遺した文章のなかに、「人間悲願の達成へ」という味わい深いものがある。立石電気(現在のオムロン)がSINIC理論を基に描き、昭和46年に「プレジデント」に投稿した「社会進歩曲線」が傍らに掲載されているのが印象的だ。 生…
このブログを読んでいるみなさんは、今まで大きな怪我や病気をしたことがあるだろうか。 一度でもそういう経験をすれば、何かしら自身の健康について、 またこの「からだ」のことについて考えを巡らせるきっかけとなり、 人によってはがらりと心変わりをして…
モノの寿命について想うとき、 「おさがり」という習慣は以前に比べるとだいぶ減ってきたように感じられる。 私自身も姉や親戚のおさがりによって幼少期を過ごした経験があるし、 大人になってからも師や先輩のおさがりの恩恵をいただくこともある。 個人的…
昨日に続き、モノの寿命について。 人が生み出したモノにはいのちが宿る。 宿ったいのちは辞書的に言えば、「物が使用にたえる期間」の寿命をもって全うされる。 一方で、このモノのいのちというものは、人の手のかけようによって、伸びたり短くなったりする…
「寿命」ということばを辞書で引くと、 (1)命のある間の長さ。命数。齢。生命。 (2)転じて、物が使用され得る期間。 (3)[理]素粒子・放射性元素・分子などが、ある特定の状態に存在する時間。 (広辞苑) (1)生物のいのち。生命の長さ。命数。 …
操体を学んでいて出会い、影響を受けた言葉はたくさんあるけれど、 そのなかでもいのちについてあげるならば、 「このいのちを、何のために使うのか」 が思い浮かんでくる。 このことばをあじわっていると、「わたし」という存在がすーっと消えていく。 「い…
おはようございます。瀧澤さん、間の投稿をありがとうございました。 本日より一週間、テーマ「健康と寿命」をつないで寺本が担当致します。 よろしくお願い致します。 わたしたちは、この世に生きている間は「健康」というテーマと、いつもともに生きている…
今年も今日で1年が終わろうとしている。 振り返ると、生活のなかで、 「内臓」のことに意識が向くことが多い一年だった。 私たちが飲んだり食べたりすることと、 からだの方でそれを必要としているかどうかは、 全く別の話なんだ、というのも感じることが多…
人が眠っている時にみせてくれる、からだの呼吸。 たしかに、呼吸は人間が意識的に行おうとしなくても自然とからだの方で営んでくれているんだということを感じる。 非常に静かに、また深く充実したリズムがある。 こういう瞬間を眺めていると、眠りの時間と…
裏と表という概念は、結構あいまいなものかもしれないなと思う。 人間のまなざしから生まれた常識が当たり前のようにインストールされているだけで、視点が変われば裏か表かなんてひっくり返ってしまうこともありうる。 例えば、地球から見えるお月様の顔は…
その昔、どんな御縁で出会ったのかはすっかり忘れてしまったけれども、 磁石を使ってからだを診る方にお会いしたことがある。 興味があったので、お互いの住まいからちょうどいい場所にある小さな公園で、 その方の手技をうけさせてもらった。 私はただただ…
年末年始が近づいてきて、シンプルで面白いゲームと言えばオセロが思い浮かぶ。 8×8の盤上に、裏と表がある同じ白黒の石を使って遊ぶ。 こどもも感覚的に遊べるし、大人も熱中して遊べる。 私はこのオセロの戦略がいまだによくわからない。 四隅を打てれば…
先日、部屋の整理をしていたら、埃をかぶったカセットテープが出て来た。 そういえば、小学生の頃はラジカセに空のテープをセットして、 ラジオにかじりつきながら、録音ボタンを押して、自分の好きな曲を集め、 オリジナルのテープを作成していたものだ。 …
おはようございます。 瀧澤さん、からだ主語のスイッチ&メッセージをありがとうございました。 本日から引き継いで一週間、寺本が担当致します。 テーマは「うらおもて」です。 よろしくお願い致します。 トゥバ共和国の伝統楽器「イギル」は擦弦楽器で、「…
一日が始まる前の時間。 夜が深く更けていって、いつのまにか朝へと変化していく グラデーションの時間。 そういう時間に目が覚めていて、外に出て、その間のときをあじわう機会は そんなに多くはないけれど。 静けさの中、キリっと澄んだ空気を感じ、 今日…
人から感じる第一印象というのは、「なんとなく」の世界ではあるけれど、 ある意味で的を得ているときがあるものだ。もちろん外れることもあるが。。 そのなんとなく感じる印象のなかに、 「あ、この人、『山登りのひと』かもな」というのがある。 「山登り…
目にはいるところに「時計」のない場所では、 いまが何時なのか、考えることも忘れてしまう。 日の光の変化と生きものの「こえ」に包まれ、 皮膚は空間をただただ味わっている。 光を、闇を、 ひびきを、 あじわっている。 普段明るすぎて見えなくなっている…
昨日に引き続き、山登りを通して不思議に感じていること。 その一つに、アウトプットのことがある。 山を登っているときは、全身をつかう。 そして、登山と下山の道中で何時間も歩き続ける。 からだの方は疲れたりするけれども、休み休みしながら何かトラブ…
少ない山登りの経験のなかで、不思議に感じていることがいくつかある。 その一つに、インプットのことがある。 山中で湧き水の恩恵にあずかる。 登山の小休止に、板チョコをひとかけら口にする。 また腰を落ち着けて、一人用のバーナーを取り出して湯を沸か…
学生時代、探検部に所属し訪れ登った山のなかで、新潟県の巻機山(まきはたやま)のことが時たまふっと思い出されることがある。日本百名山の一つでもある。 冬の巻機山でかつて命を落とされた先輩の慰霊を目的に、部員全員で年に一度この山に登ることが部の…
瀧澤さん、一週間の澄みきった投稿ありがとうございました。 呼吸がからだに入ってきました。 本日からはテーマ「山」を引き継いで寺本が担当します。 よろしくお願い致します。 大学時代、探検部に所属していたけれど、もっぱら川下りに時間を費やしていた…
海を前にして、感じさせてくれるリズム。 ついついボーっと眺めてしまうその水のうごきのなかで、 岸に打ち寄せてきた水が砂にしみわたり、再び沖の方にかえっていく、 そして、沖にかえっていったうごきが、流れをかえてまた岸に水を運んでいく、 そのどち…
(昨日の続き) からだを診させていただいているときに、「海」のリズムを感じる。 ひとつには、「足趾の操法」を通しているときに被験者の足元からみえる景色がそれを連想させる。 操法を通して、変化は様々起こっているけれど、 やはり呼吸の変化は印象的…
呼吸は意識的にしようとしなくても、吸って、はいてを自然におこなってくれる。 からだの方で絶えずしずかなリズムがおこっている。 海の水のうごきはこの呼吸を連想させる。 ゆったりと、また時に荒々しく。 よせてはかえす波のリズムは海の呼吸のようにも…
海の水はしょっぱい。 このことがとても不思議だなと思う。 忘れもしない、小学校のプールの授業。 プールの水はしょっぱくなくて、塩素がしっかり効いているあの感じ。 泳ぐのがあまり得意でなかったので、プールサイドを足の裏で感じるあのザラザラした記…
海から離れた場所で生活していても、海を思い出すことがある。 都内の川沿いに住んでいて、こんな不思議な現象が起こる。 朝、川沿いを歩いていると、何故か「磯の香りのようなもの」が感じられることがあるのだ。昔からたまにこういうことがあって、こども…
海はリズムそのものだと思う。 海岸の砂をぬらす波の跡。 寄せては返すその様子をみているだけでも面白い。 小さい頃、波の動きに魅せられて、ぼーっとその様子を眺めていたのを思い出す。 このリズムは変化に溢れていて、見ていても飽きないのだ。 同じよう…
瀧澤さん、一週間の間の時をありがとうございました。 本日からバトンタッチして一週間寺本が担当致します。 テーマは引き続き「海」。 よろしくお願い致します。 小学生くらいまでだったか。 昔、田舎が千葉の内房にあった頃は、「海」がもっと身近だった。…
生命現象は宇宙空間の事象として貫通している。 人間が「治癒」と呼んでいるからだがみせてくれる現象も、味付けの無い、そのままの生命現象として捉えなおしてみたい。 風が吹いてくるように。 呼吸がからだに入ってくるように。 からだが主語になり、人間…
日常生活には様々な生命活動が溶け込んでいる。 普段、意識されることもなく、流れる様に営まれているこの活動に人間は支えられている。 呼吸もその一つ。 目に見えない、当たり前のように人生を包んでいるリズム。 この営みの重要さに気がついた先人は、様…