東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

寺本 雅一(てらもと まさかず)

感境7

昨日の続き 人間の可能性について想う。 からだを経由して、いただいたことのなかから学ぶ操体という学問は、 ある意味で、この生命の本来持っている可能性に触れ、 人間の可能性を発掘しているようなものだと思う。 それは、人間にとって、より本来の人間ら…

感境6

からだには、まだ人間の方で理解できていないだけで、可能性が満ちている。 それは生命の可能性であり、人間の可能性につながる。 操体を通して学んでいる最中にそのような生命現象に遭遇し、 生命感覚に貫通している真理と呼べるようなものに触れているよう…

感境5

からだと、からだの外の環境。 目を開けると視覚情報として入ってくる世界があり、 また目を閉じたとしても、この外部環境に常に皮膚を介して触れている事実がある。 本人の意識の有無に関わらず、からだの方で、情報のやりとりは更新され続けている。 それ…

感境4

昨日の続き 何か知りたいことがあるときに、真っ先に頼りにするのが、スマホからの情報アクセスになって数年経つ。 もしこのデバイスを充電できない環境になったら、どんなことが起こるのか、 生活観もかなり変化しそうな予感がある。 携帯電話、スマートフ…

感境3

人類の歴史は縄文時代から考えると1万数先年続いていると言われているが、この百数十年で加速的に変化しているように思う。 文明が発展することで、多くのものごとが個人から他者に「代行」されるようになり、 近年ではその担い手がどんどん「機械」に委ね…

感境2

からだの外で起きている出来事を、本人は気が付いていなくても、からだの方ではしっかりキャッチしている。 季節がくると、頭を悩まされる人も多い「花粉症」も、 いち早くからだの方でその到来を感じ取って、本人に体調変化として伝えてくる。 花粉症ではな…

感境

おはようございます。 瀧澤実行委員、一週間のブログ投稿ありがとうございました。 本日からテーマ「環境」のバトンをいただいて、寺本が投稿致します。 よろしくお願い致します。 「環境」には「からだ」という切り口から眺めてみると、その外側での出来事…

道中いったりきたりの記7

何かを「身につける」ために、以前は繰り返しのなかで 学習している実感が多くありました。 今でも「身につける」ということについて 何度となく考えます。 これだけ学び続けていても、いまだに身についていないことを 痛感することも相変わらず多々あります…

道中いったりきたりの記6

修業、修業、修業・・・。 なぜだかわからないのですが、昔からこの「修業」というものに 興味を抱いていて、憧れる部分がありました。 例えば、こどもの頃から読んでいる漫画のなかには数々の「修業」の場面が登場していましたが、グッとくる修業のシーンは…

道中いったりきたりの記5

日常生活のなかで、このからだというものが「重いなぁ」と感じることがある。 修業中の身ゆえに、与えられている特権かもしれないけれど、 「これも修業」というマジカルワードを唱えると、 動きやすくなる感がある。 この重さを感じながら、「えいや、」と…

道中いったりきたりの記4

一度丁寧に作り上げたものを、一回分解してまた作り直す。 こういう「やりなおし」もどうも苦手なこととして過ごしてきた。 でも、勉強を続けていると、この作業こそ必要なことのように感じられてくる。 近年、注目されている、からだのなかで起こっている「…

道中いったりきたりの記3

書いては消しての繰り返し。 さっき「通った」ばかりのところなのだけど、 見逃していたことがあることに気が付いて、数秒後にまた逆戻り。 それも、笑ってしまうくらい、何度も何度も反復、往復。 一度で済ませればいいものを、一回で気が付いておけばいい…

道中いったりきたりの記2

「あ~、また行ったり、来たりしている」と思うことは、学んでいると、何度となくやってくる。 修業中であったはずの「ON」が、気が付いたら「OFF」られている、 なんてことは日常度々起こる。 常にスイッチONでいるとへとへとになってしまうこともある。 何…

道中いったりきたり

おはようございます。 瀧澤さん一週間のブログ投稿ありがとうございました。 テーマ「修業」のバトンとタスキを受け取って、本日より一週間は寺本が担当します。 よろしくお願い致します。 何をするにも長続きしなかった私にとって、気が付いたら10年も続…

言葉をもたない生き物に重ねて7

草木を眺めていると、植物のからだには「正面」というものはあるんだろうかと思う。 また、枝葉を伸ばしているあの地上部の拡がりには、右手や左手などの区別が存在するのだろうか、地中に伸び拡がっている根には右足、左足のような区別は、、、などと考える…

言葉をもたない生き物に重ねて6

植物を見ていて、しみじみすごいなぁと思うことがある。 一所に根を下ろしてから次世代の種子を産出して新天地に旅立つまでは、その環境で起こることにすべてに相対し、適応しながら生きているその姿だ。 動物とはまた違う、植物なりの「逃げ方」はあるのか…

言葉をもたない生き物に重ねて5

「食べる」ということを考える時も、最近思い浮かんでくるイメージは「植物」である。 以前にもここで吐露したことがあるが、食べることが好きな私は油断するとついつい食べ過ぎ状態になることがある。 「土と内臓」という本の中で「ヒトの消化管をひっくり…

言葉をもたない生き物に重ねて4

操体を学んでいると新鮮な「からだ」の感覚に遭遇する。 最近では、自分が植物的な生き物になっていくような感覚を味わうこともある。 普段の人間ver.が「動物」であるならば、学んでいることをからだとともに学習するときは動物のからだから、植物のからだ…

言葉をもたない生き物に重ねて3

我が家の小さな庭には誰が植えたのか、はたまた勝手に生えてきたのか、由来知らずの柑橘類が一草、ひっそりと暮らしている。 不勉強な私には本当の名前すらわからないこの生き物は、時期になるとあおむしたちの一時の住処となる。今年もアゲハの幼虫が3匹ム…

言葉をもたない生き物に重ねて2

公園の樹木など眺めていると、この木は一度種子が発芽してからは(またはこの場に人の手で植えられてからは)、一所に根をおろしてここまで成長してきたんだなとしみじみと感じます。 目に見えているところでは、雨が降っても風が吹いても、葉っぱを食べる虫…

言葉をもたない生き物に重ねて

おはようございます。 Mr.植物の瀧澤さん、一週間の「ことのは」の数々ありがとうございました。 テーマは「植物」のバトンとタスキを受け取って、本日から一週間、寺本が担当します。よろしくお願い致します。 私事からのスタートとなりますが、今年は特に…

ひょうげんすること、されているもの7

「アート」と呼ばれているものに触れることは、自分自身の表現と出会うことに繋がっている。 美術館やギャラリーに足を運び、他者が創り出したものを鑑賞することで味わえるもの、養われるものがある。 そして、少し切り口を変えて、このブログの場をお借り…

表現すること、されているもの6

からだから受け取れるものの世界は実に豊かだ。 いままでは受け取れていなかった世界もあることが、操体の深化に伴い、日々のからだとのお付き合いによって感じられる。まだまだ奥が深い。 昨日のような捉え方をすれば、からだが表現する「アート」を鑑賞す…

表現すること、されているもの5

からだが表現する世界には様々な表情がある。 はっきりしている激しい印象のときもあれば、 ほんのささやかな、静かな声で語りかけてくることもある。 後者のバリエーションに興味をもつようになると、実に豊かで静かなからだの表現世界が拡がってくる。 そ…

表現すること、されているもの4

こどもはよくケガをする。 先日も知り合いの子が家の中で家具にぶつけたか何かして左目の上に立派なたんこぶをこしらえていた。 できたてのたんこぶは見事なピンボール玉くらいの大きさだったらしいが、30分後くらいの写真を見せてもらったらそれが少しお…

表現すること、されているもの3

無意識のうちにただただ表現されているからだの営み。 「呼吸」というマクロな現象は、意識せずとも意識の外で表現されている。 同じように「消化」という営みも知らぬところでリズムをもって営まれている。 もっと縮尺をズームアップして、細胞ひとつひとつ…

表現すること、されているもの2

何かを表現しようとするときに頼りになるものは、 既に表現されているもののなかにある。 「からだ」という自然を前に、この表現されている世界に耳を傾ける。 からだの声をきく、からだの要求をききわけるために、どんな方法があるだろうか。 からだにとっ…

表現すること、されているもの

瀧澤さん一週間のブログ投稿ありがとうございました。 テーマは引き続き「アートについて」。本日より寺本がバトンタッチして担当致します。よろしくお願い致します。 今年の11月にオンラインも含めたハイブリッド形式で開かれる秋季東京操体フォーラム。…

からだ は しっている ひだり の せかい 7

(きのうのつづき) 『数学の歴史は測量に大きく関わっていますけれど、古代に測量学が発展したのは、領土を正確に測ることを通して、人間の争いを減らすことにもつながっていたんです。』 『宇宙は長い年月をかけて膨張していますけれど、誕生する瞬間に、…

からだ は しっている ひだり の せかい 6

(きのうのつづき) 誰かの言葉で理解することから離れて、自分のことばでからだがききわけている世界を表現してみたい。 操体を学ぶ師や同志の紡ぎだすことばを聞いていると、なんだか「詩」のようだ、と感じることが増えた。詩人が二人で物語を紡いでいる…