東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

寺本 雅一(てらもと まさかず)

身体芸術と操体

昨日の秋季東京操体フォーラム、お陰様で無事に終了致しました。 ご参加くださった皆様、ありがとうございました。 今回は「身体芸術と操体」というテーマにまさにピッタリなミュージシャンの佐藤正治氏にご参加いただいたり、相談役の川崎先生がいつも以上…

途方もないけれど愉しい

おはようございます。 本日は東京操体フォーラムが開催されます。 今回ブログのテーマとなっている「常識を疑う目」 まさにそんなまなざしに通じる話が飛び交うのではないでしょうか。 かくいう私も発表の機会をいただきまして、 私が今回「メス」を入れてみ…

空間を介して吸収する

今回、機会をいただいて「常識」と「非常識」について 思いを巡らしていますが、 自分自身を振り返ってみると、 とはいえ常識に「縛られて」いるようなところがたくさんあるように感じます。 一番そのことを感じるのは、赤子や幼児と接する時です。 例えば、…

宿りしもの

「操体の常識は、世間の非常識」、 とは仲間内でよく話のでる話題ですが、 操体の目指しているところは、 からだにとっての本当の常識って何なのかということに 既知未知含めて学問にしていくことだと思います。 その方法として採用している画期的な方法が …

空間を与える

モノゴトに向き合うためには ただ向き合うだけではなかなかうまくいかないように、最近感じている。 これは単に時間の長さの問題ではないように思う。 短くても、良質の時間を過ごすことはできる。 例えば、普段の仕事や生活の流れのままに 何か別の大切なこ…

常識から生まれた非常識

「非常識」といっても一括りにはできないように思います。 常識と正反対のものを、敢えて選択した結果の非常識があれば、 常識をとことん精査した結果、「あれ?」と疑問を持ち 今までの常識を見直すことで非常識が生まれることもあるように思います。 「操…

大きな器

おはようございます。 瀧澤さんのウサギのエピソード、大好きです。 一週間ありがとうございました。 本日から寺本が担当します。 テーマは引き続き「常識を疑う目」です。 宜しくお願いします。 疑う前にまず 身につけることすら容易ではないもの。 「常識…

可能性を味わうように

昨日に引き続き、 「味わう」ということに最近興味がある。 私自身を振り返ってみるとき、 いかに常日頃、味わうことなく生活しているか、 ということに気付かされる。 例えば、大好きな定食屋さんに行って 先週も食べた好物のものを食べていても、 本質的に…

山の上のコーヒー

単純に好きというのもあるが 仕事柄、常日頃コーヒーが欠かせないものとなっている。 補給するのはもっぱらインスタントものだ。 日に何杯も口にするなかで ふと、「山の上で飲むインスタントコーヒーは格別だったなぁ」 と思い出す。 これは大学で探検部に…

奪わないために

自分の事であればまだしも、 自分以外の存在について その「可能性」を奪ってしまっているようなことが 自分は結構多いなと感じる。 そういったことに直面するなかで 可能性を奪うような 「余計な事をしない」ようにする為に どうすればいいのか。 もしかし…

可能性に逆らわない

臨床のことから少し世界は離れるが 夜毎、うちのニホンヤモリの「ご飯」を求めて 狩りに出かけていると、時折不思議な出来事に遭遇する。 ターゲットとなるクモが見せてくれることなのだが、 捕獲容器で捕まえようとすると 「絶対に捕まってなるものか」と言…

可能性に委ねる

「治すことまで関与するな」 昨日に引き続き、これも創始者から未だに問いかけられ続けている 名言だと思います。 何を言わんとしているのか。 操体の臨床家を目指す人間は、この言霊を咀嚼し続けながら では、成すべきことは何なのか、 受け取るということ…

可能性を見据える

「やるやらねえはテメエの勝手」。 操体の創始者の姿勢が滲み出ている言葉だと思います。 一見すると、冷たく突き放しているようにも思えますが、 寧ろ、相手の可能性を見据えているからこそ伝えられる 「指導者」の言葉なのだと感じます。

可能性と向き合う

昨日のブログ、身体運動から身体芸術へ。 「芸術」という言葉も 特別な営みではなく、何だか身近に感じられてきますね。 瀧澤さん一週間ありがとうございました。 本日から寺本が一週間担当致します。 テーマは引き続き「可能性」です。 宜しくお願いします…

できることは、あるかもしれない

(昨日の続き) からだを診ることと、楽器や音楽に向かう事は 「ヒビキ」というキーワードを持ってつながりをもつことができる。 このようなことを考え始めたのは、 のらりくらりと続けてきた音楽活動を昨年「冬眠」してからのことだった。 音楽での活動で知…

読譜

(昨日の続き) 「からだ」という動態を、ある種の「楽器」に喩えてみるとき、 からだへの「触れ方」は、 楽器の「扱い方・弾き方」に通じるように思う。 一方、触れるというその前に常に問われていることもあり、 それはからだの「どこに触れるか」というこ…

おこぼれ

(昨日の続き) 臨床中に被験者本人がききわけているヒビキ(感覚)は 本人にしかききわけられないもの。 これが基本です。 一方で、例えば臨床に立ち会ったり 講習の実技に参加していると こんなこともあります。 急にあくびがでる。 実技を見ていてこちら…

楽器と観客

(昨日の続き) からだに触れ、触れられた方は からだからヒビキを感じる。 ここでいうヒビキは「感覚」という言葉にも 置き換えることができる。 そして、ききわけられるヒビキ(感覚)は 基本的には、その人自身にしかききわけられないものである。 からだ…

芸風

月に一回兄弟子である畠山先生の主催する 視診・触診講座に通い続けている。 この講座、現在は触診にすこぶる影響を与える外気功基礎のカリクラムを含む 豪華版に進化している。 blog.teizan.com この講習に長年参加し続けていると、 からだに触れる、その「…

予期せぬ音がきこえる

私事で恐縮だが、 ニホンヤモリと生活し始めて7年ほど経つ。 彼らは生きているものしか食べない習性があるので この時期は夜毎、クモやガなどの昆虫をハントしに出かける。 この最中の話である。 主食のクモは橋の欄干のところにいけば大体捕えることができ…

言葉変われば・・・

おはようございます。 一週間の日々の讃歌、瀧澤さんありがとうございました。 本日から寺本が担当します。 宜しくお願いします。 引き続きテーマは「ヒビキ」でお届けしています。 「あえてこういう言い方をする」 操体にはこの「あえて」という姿勢・態度…

異次元食堂

これは隠れ家の話である。 平日の昼休み。 少しはねをのばして、ここのところ通ってしまっている食堂がある。 言ってしまえば平成の世にひっそりと息づいている「昭和の食堂」なのだが。 不朽の名作「幸せの黄色いハンカチ」のなかで 健さんが醤油ラーメンと…

遊び心とこころのアソビ

自分のなかに今どれだけ「遊び心」が働いているか について、最近考えるようにしている。 というのも、どうも自分は根詰めて何かをやってしまいがちな傾向があるからだ。 根が詰まっているときに、足りてないものはなんだろうと考えてみて 「遊び心」もその…

くいついて 散歩

基本的に夜型人間なので、早起きは小さい頃からあまり得意ではなかったが、 それでもたまに朝が来る前に、目が覚めるタイミングがある。 外はまだ暗い、新聞屋さんもまだ準備をしているような時間。 何の気なしに外へ出てみると、 やけに空気が澄んでいるな…

くいつき遍歴

今まで接してきた物事のなかで 自分はどんなことにくいついてきたか。 その遍歴を振り返ってみると、 ほぼ共通していたのは、 「何もなくてもできる=身ひとつあればできる」というキーワードだった。 例) トゥバ共和国のホーメイ → 伴奏楽器がなくても、身…

くいつけなくなる

ここ数年久しく風邪で寝込むことなどなかったが 久しぶりにたっぷり風邪をひいた。 普段何気なく行っていることのすべてが すんなりと思い通りには行かなくなる不思議。 改めて、「当たり前の生活」を送れていることは とてつもない恩恵であるように感じられ…

楽の時代

本当に便利な時代になった。 欲しいものは「~屋」さんに行かなくても 近所のコンビニエンスストアや インターネットで注文すれば手に入る。 自分は今、「楽」の時代のなかで 生活しているような気持ちになることがある。 でも「楽」ばかり選択していては ど…

人間

おはようございます。瀧澤さん一週間ありがとうございました。 Tさんはアルジャンスーの生演奏を聴いていて イノチを操るアーティストの姿に、シビレれました。 久しぶりの即興生演奏、かっこ良かったです。 さて、バトンを受け取りまして本日から寺本がしば…

清濁

魚介類について良く「天然もの」か「養殖もの」か、 が目に付くことがある。 一般に前者が高価で、質も高いというイメージがあるようだが、 いやいや、そんな単純なことではないようだ。 「養殖」にもピンからキリまであって、 手間隙をかけて育てられた養殖…

護る  

「正義の味方」というのは いわゆる「悪」と呼ばれているものと対峙すると同時に 何かを「護る」ことも、担っていることが多い。 世界の平和を護るため、日夜、悪と対決する存在。 この世界の平和の話を 「からだ」の世界に重ねるとき、 さて、我々のからだ…