東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

ふれる習慣7

先日お伝えした畑仕事の延長で、ビオトープの育成にも関わらせてもらっている。

近所の小学校の一角に水を貯められる角型のバットのなかで、ヤゴなどの繁殖の場をつくっている。

 

ほっておくとこの環境にはアオミドロがわっさりと増えていく。

増えすぎるとバランスがよろしくないので、手を突っ込んで増えすぎたアオミドロを整理したりする。

 

最初このアオミドロが繁るなかにどんな生き物がいるのかわからないビオトープに手を突っ込むのに、正直勇気を要したのだが、えいやっと手を入れてみると、これがなかなか結構楽しくなってくる。

 

古くなったオオカナダモを取り除いたり、そのオオカナダモに絡みつくアオミドロをよけたり、元気なヤゴに触れたり、どこからともなくやってきた小さいメダカをながめたりと、黙々と作業しているだけだが、これが普段使っていないなにかを使っているような不思議な感覚時間を味わえる。

 

素手で何かをする作業というのは、たのしく熱中できる営みにつながっているように感じる。そういえば、先日のブログでも、スポンジを使わずに素手で洗面台や台所など掃除することにハマっている件をご報告したが、そのハマる要因を改めて考えてみると、黙々と熱中できることや、やっていて実感を持ちながらたのしく取り組めることがあるなと思う。

 

なんとなく、手先だけで作業している感じじゃなくて、からだ全部で営んでいるような感覚を味わえている気がする。

 

先のビオトープの手入れを黙々としていると、気が付くとシオカラトンボがすぐ近くを飛んでいたり、羽化するための支柱に留まっていたりする。そんなときに、これもなんとなくではあるが、都会の中にいて、自然に溶け込んでいるような気持ちになる。

 

便利なものが増えていくと、気を付けないと「触れる(ふれる)」機会がどんどん自分の周囲から失われていく気がする。自然環境から人間の作り出した人為環境へさまざまな営みが移行していく。

 

そんななかで、現在の自分のたのしみは触れる機会をどんなことでもいいから自分の周囲に発掘していくことだ。適当にやろうとすると、なんでも面倒だったり、つまらなかったりするけれど、大抵のことは、「触れる(ふれる)」という感覚意識で取り組むことで、面白さがそこに加わってくる。それがとても不思議な現象だと思う。

 

そんな試行錯誤を続けながら、自身の周囲における自然環境と人為環境の程よいバランスを探っていければと考えている。

 

一週間のお付き合いありがとうございました。

明日か友松さんの「Free(フリー)」が始まります。

どうぞ、おたのしみに。