2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧
おはようございます。 健康とは自分自身で創造していくものである。 創造、つまり健康は人から与えられるものではなく、自分自身で新たな気づきを得ながら、それを愉しみながらつくりだしていくものだと思う。 自力自療が適う。それが真の健康学だと思う。 …
おはようございます。 先日、昼食をとりながらテレビをつけてみると、所信表明演説の中継がされていた。 その中で首相が、「経済、経済、経済」と強い口調で連呼していたのが印象的だった。 経済も語源を辿れば、経世済民。 経世済民とは、世の中をよく経(…
おはようございます。 実行委員リレーブログ、今週は友松の担当となりますどうぞ、よろしくお願いいたします。今回のテーマは「まるごと操体」ということでリレーしております。 「まるごと」というと、まるまるゴロゴロしたジャガイモや肉の入ったカレーラ…
何事もなく穏やかに生活が営まれている。 普段、「普通」だと感じていることが、実はヒトの意識の及ばない生命活動の重なり合いによってささえられ、実現している。 操体はこういったからだにとっての「普通」であることに、新たな切り口をもって学ぶことの…
からだからのメッセージは様々あるが、 日々身近なものとして感じられるものに、 おなか(内臓)から受け取っている感覚が挙げられるだろう。 空腹感、満腹感、お腹の重さ、軽さ、腹痛、おなかが緩い感じ、何故か分からないけどおなかが鳴っているとき、床に…
以前も本ブログのリレーテーマで「健康」について取り上げられたことがある。 この「健康」というものはわかっているようで、よくわかっていないものだ。 わたしにとっての健康 からだにとっての健康 それぞれのことばからイメージする健康観はどのようなも…
からだが当たり前のように生命活動を営んでくれているお蔭で わたしたちは普段の日常生活を当たり前に過ごすことができている。 この当たり前が、当たり前でなくなった時に、 自身のからだの不調や病気、健康のことなどについて感じ、考え始める。 当たり前…
日常生活のなかの「当たり前」。 その当たり前のなかに、ヒトがいきるヒントがつまっている。 そういうことに気付き、学ぶことができるのも操体。 操体では特別な道具を使うことはほとんどないと言っていい。 (もちろん工夫次第で、道具はいかようにも用い…
日常生活は学ぶことの宝庫。 この営みのなかにも生命活動は満ちている。 まるごと操体。 いろいろ試してみて、自身のからだからのメッセージを受け取る。 それを第一の情報として、自身の学びの種とする。 学んだことを、からだを通して学習している同志と共…
瀧澤さん、一週間の「まるごと操体」メッセージ、ありがとうございました。 本日から寺本が引き継いで投稿致します。 ブログのテーマは引き続き「まるごと操体」です。 よろしくお願い致します。 操体を学んでいて感じるのは、この学びは『からだ』からの様…
初日にこんなことを書きました。 「まるごと操体」と向き合うことは、「いのち」や「宇宙」、「真理」といったものと向き合うことに等しい。 健康たらしめているものは、わたしたちの意識行動だけではなく、それを支えてくれているからだや、わたしたちを生…
それぞれの営みの中で、はじめに位置する息。 この空間から空気をいただくいということにおいては、選択の余地がないほど、環境そのものをいただいているといってもいい。 操体は呼吸の生かし方もそれぞれの分析法において変化している。 楽に問いかけた運動…
日々の営みの中で他人に代わってもらうことのできない自己最小限責任生活として、操体では息、食、動、想の営み、環境との関わりを重視してきました。 それぞれの営みは同時相関相補性でつながっていて、この営みをどう営んでいくかということが、日々の生活…
楽に問いかけた運動分析と、快に問いかけた感覚分析の違いには、意識の生かし方も含まれる。 からだに感覚をききわけるためには、からだに意識を向けていく。 思考意識から意識感覚へ。 そこで重要なことは、「ゆっくり」動きを表現すること。 からだがきき…
生体のバランス制御が楽から快に変わり、運動分析から感覚分析へと操体法は進化してきました。 一つ一つの動きをとおして「快適感覚」をからだにききわける動診・操法。 「からだの動き」を表現し、からだに意識を向け、「快適感覚」の有無を確かめる。 から…
感覚という「からだからのメッセージ」を受け取る「うつわ」をつくっていくこと。 その「うつわ」に入ってくるメッセージの中から、「からだが悦ぶ」ことを感じとっていくこと。 メッセージが意識に響いたとき、自分ごとになっていく。 対になる動きを比較対…
岡村さん、意識へ響くメッセージ集、ありがとうございました。 学びの内側から「まるごと」操体にふれさせていただいている。 そんなふうに感じられた一週間でした。 今週は瀧澤が引き継ぎますので、どうぞよろしくお願い致します。 今回のテーマは「まるご…
<エピソード⑯> (「食」に関して) トルストイが、 「この世に屠殺場があるかぎり、戦場はなくならない」と、言ってるんだよな。 ただ、本当に「青汁」だけで生きていける人は、いるの? <エピソード⑰> 葛藤。 その都度回答したり、悩んだりしなくてもよ…
<エピソード⑬> 水の中の気付き。 愛は直線でとおる。 感謝、ありがとうは、末広がりでとおる。 全体一体の円、数珠。 <エピソード⑭> 生命は生命相、水分としての構成にも命(いのち)があり、 命(いのち)があるから言葉に反応するんだろう。 言葉は命…
<エピソード⑩> 石の上にも3年。 一万時間は1つのことを学ぶ。後は辞めないことである。 学ぶことをやめないことだよ。 学び続けているのであれば、必ず試されている時期が来る。 これは、必ず来る。 来た時に、うかうか乗るなよ。 乗ってしまえば、先は見…
<エピソード⑦> 「救い」=「太極の意志」 生かさせてくれている命(いのち)に対して、 意識を向けなさい。 もともと、そのような身分からなる命(いのち)なんだから。 <エピソード⑧> 無量の法とは、全てに生かされている方のこと。 自然法則とは、太極…
<エピソード⑤> 自分ができる臨床とは、次元を超えていく臨床にある。 不可視な現象とは、次元を越えようということである。 操体の学びは、 可視と不可視の現象のものを反発し合う傾向があっても、 両方入って生かすことができる。 「花は心、種は枝」。 …
<エピソード③> あのね。 やっていることが繋げて、繋がっているのかな、ということなんだよ。 命(いのち)、あの世、橋本敬三先生とね、 つながっていることを感じ取れるか、どうかなのだよ。 あの世とこの世はつながっているのだけれど、 自分の中で境界…
今週からブログのテーマは「まるごと操体」になりまして、 一週間担当する岡村です、よろしくどうぞ。 早速ですが、「操体」の個人レッスンを私自身学び直してみると、 三浦理事長から習っていた記録より、印象的な言葉をいただいていたので、 これを「まる…
「見えるものは、見えないものに触れている」(ノヴァーリス) こういう感覚を持てば、間違いが少なくなるのでしょう。 開催案内 | 2023年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum www.tokyo-sotai.com
東洋医学には、四診(望・聞・問・切)というものがあります。 増永静人先生は、「切診」について、次の様な記述を残されています。 「切切とか親切というねんごろな関係は、表面的なふれあいではなく、深くピッタリくっついていることだから、切診を行なう…
橋本敬三先生は、セックスをレーベンス・テーマとされました。「セックスは神を交えた政事(まつりごと)であり、2人でやるものではない。」という言葉を残されています。 開催案内 | 2023年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum www.tokyo-sotai.com
舌による接触―その最たるものはキスでしょう。 読売新聞「編集手帳」の名コラムニスト竹内政明さんは、「キスとは、1階の都合を2階で聞くこと」と書こうとしたが、止めました。と。 その理由は、「小学生から、これはどういう意味ですか?と質問されたら、…
「団地の庭にツツジの花を指差すのです。とっさに、その”指差し”の指を少しずつ対象に近付けて、花びらに触れるようにしてやると、そこでは、まず、握るということはしない。なんと、その人差指の尖端で輪郭をなぞっているのです。あの舌の先でやっているの…
赤ん坊は生後6ヶ月くらいから、手あたりしだいに物を「なめ回し」ます。 形態の把握はまず舌から、そして舌がすんだら手が、手がすんだら目が、といった順序で進むということです。 そして、三木成夫先生は、こう述べられています。 「人間の知覚とか、ある…