2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧
今週の「セルフケア」ブログ担当、岡村郁生です。 どうぞ一週間、よろしくお願いいたします。 セルフケアの結論から書いてしまうなら、「頭寒足熱」です。 四季の移り変わりに「からだ」は同調します。 「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて」…
現代の疲れとは体力的に疲れるのではなく神経的に疲れているそうです。 このコロナウイルス禍ではテレビのニュースを見ているだけで嫌になります。 テレビが作り出した幻想や間違った情報に惑わされて真実はどこにあるのかわからない状況です。 それはハッキ…
私はセルフケアの一環として足趾の操法®を私の妻に行っております。 家族のケアしてセルフケア?と思った方もいると思います。 操体法では臨床を行っている操者側も気持ちよさを共有してからだのバランスを整えることができます。 週に2,3回は行っています。…
私は何か愚痴を言いたくなったら「書く」ことでそのイライラを解消しています。 ノートに思ってことを何でもいいので書きまくります。 本当に人には見せられないレベルです。 いろんな人に私の愚痴を聞いていもらい共感しスッキリさせたいこと。 これを聴い…
また最近の私はもう無理とからだが感じた場合は徹底的にサボります。 営業していると自分ではコントロールできないほどの依頼ややることがいっぱいいっぱいになることがあります。 そういう時は徹底してサボるのです。 現在はコロナウイルスの影響でカラオケ…
もし眠りが浅いなぁと感じたら、深呼吸を多くすることを心掛けています。 操体的には吸気の量を多くすること。 不健康な人はとにかく呼吸が浅いと感じています。 吐く息もそうですがそもそも吸えていない状態のようです。 意識的に呼吸をコントロールするこ…
朝型に転換した後、仕事をする時間帯にも変化が出ました。 以前は夜にメールや書類などを家に帰って作成していましたが、 今はからだが疲れたなと感じた時はどんなに急ぎの仕事があっても次の日にまわします。 次の日の朝早くに対応すればほとんど済むことが…
今週からブログのテーマが「私のセルフケア」に変わります。 1週間お付き合いよろしくお願い致します。 私は以前、本当に夜型の生活でした。 夜は遅くまで仕事やテレビを眠いなか我慢して起きていました。 今は180度転換して朝型の生活習慣になりました。 夜…
人は、いきなり生の中へ放り込まれる。 人が生きるとは、 やりたいこと やらなければならないこと やらされていること をやることである。 より良き人生とするためには、 ・やらされていることを減らして、やりたいことを増やしていくこと ・全て自分事にし…
原始感覚とは、生命力を高めてくれるもの(快)と、生命力を減衰させるもの(不快)をきき分ける能力である。と言ってみることができると思う。 子供は無邪気で、好き嫌いをはっきり訴える。よく「童心に還れ」と言われる。確かに、子供は素直で本心に近いが…
エビデンス、コンプライアンス、コストパフォーマンス、現代における行動文法である。 これらの特徴は、わかりやすい、想定外に対応しにくい、パターン化する、である。 これらを徹底すれば、社会は乾く。 もはや戻れない戦後の昭和社会を懐古する気もないが…
日本は和歌に代表される情感の国である。 意気に感ず、しかし、心は移ろう、人は心変わりする。 だから、気持ちで動くことは時に危い。 社会を公平にするには、ルールを細かくして、それを守らせるしかない。煩雑にはなるが、それによって個人は自由を得る。…
Physicalには、①物理的な、②身体の、(他に、自然の)という意味がある。 人間のからだに携わる者として、 「物理的な」と訳すと、人間を剛体として捉えて、運動学→バイオメカニクス、という方向に進んで行く。学問としては、おもしろい。その向こうにロボッ…
歪体というものをどう捉えるか考えてみた。 東洋医学では、正気(真気)と邪気という言葉を使う。 邪というものを字源から解釈すると、牙+阝で、牙は動物のキバのことであり「歯牙にもかけない」などと使われる。この牙は、くいちがいを意味する。 この立場…
※テーマは「私のズッコケ操体クロニクル」です。 正という字は、一に止むと書くというが、唯一絶対というものは、時に困ったものとなる。 正常歩行という考え方があるが、これは異常歩行に対する規範、標準であり、絶対的に正しい歩行(歩容)がある訳ではな…
これまで書いてきたような自身の操体の歴史を振り返ると、学び始めた数年間の間はずっと臨床に活かせる技術の習得に意識が向いていました。 それがいつからか自分がいかに健康に生活出来るか、そしてそれをどのように指導していくかに意識が変ってきたのでし…
呼吸の重要性とその深さは現在も私の学びのテーマとなっていることですが、触れない臨床を学び始めた当時の私はまだその深さを知る由もありませんでした。 ある程度教わったことの範囲内でただ思い付きに任せて様々な問いかけをしていったのですが、果たして…
私がちゃんとした形で三浦先生の触れない臨床を目にしたのは昭和女子大学で開催されたフォーラムが初めてでした。 私達、実行委員はともかく一般参加者からすれば信じられない光景だったと思います。 ただ確かにモデルになった女性も変化した実感がある。 そ…
昨日の続きになりますが、皮膚の学びの中で操者と被験者の「快の共有」をつかんだことで、動きを行う臨床の際にも同じ意識感覚で取り組むことにしました。 その意識を第一に臨床に望んだことで大きく変わったことは、からだを主体にした臨床の組み立てが出来…
「患者が動けないのは操者が悪い」 当時のこの三浦先生の言葉と向き合いながら、講習だけでなく、実際の臨床でも実践出来る動診の介助、補助を身に付けることを一つの目標にし、心機一転この学びと向き合おうと決心したのが3~4年経った時でした。 介助の手…
昨日の続きになりますが、臨床家としてというよりも「自分の生き方を変えたい」という動機でこの学びの門を叩いた私にとってまず何を身に付ければ良いのかが当時全く分かりませんでした。 操体に関する書籍はもちろん、医学書や他の手技療法の本も色々読みま…
三浦先生、一週間ありがとうございました。 本日から三浦寛幸が担当致しますので、よろしくお願い致します。 今回のテーマは「私のズッコケ操体クロニクル」です。 操体を学び始めて12年の月日が経ちましたが、私にもこれまで幾多のズッコケストーリーがあり…
情動の呼吸、随意の呼吸、代謝の呼吸は、重心の設定状況によって変化し安定する 吸気は、生死観、呼気は死生観。いのちある中で、二つの観はくりかえされる。
甘瞑の医学(甘瞑:euthanasia)甘瞑とは「甘く安らかに眠るが如く死を迎える」 意味は、甘く眠るような、甘くとろけるような死を迎えること。人間学の中核は自分史である。
熊楠のことばより " data-en-clipboard="true"> " data-en-clipboard="true">人がこの世にあるは、安心を好む。安心は愉快の極(きょく)なり。安心には、等差あり。9.9の安心、9.99の安心あり、9.999+の安心あり、いまだ10に至らずといえども、安心深きも…
いやし、くすしの呼吸法(息の学び) 吸気を耕す。からだにには最吸の門がある 長寿、長生とは吸気の質量により(長生吸の門) 左背部体側の吸気、左肋間体側(拡張)の吸気、左横隔膜拡張の吸気
道元のことばより 同じ師につき、同じことを同じだけ学んでも、なほ同じ道を行くことはない。同じ道を共にしたとて同じ場所に立つことはない。たとえ同じ場所に立ったとしても、得るものが同じということはない
道元の言葉から その時、おまえは驚くだろう。自分という輪郭が無くなり、この世の一切のものが自分であり、自分が一切のものと溶けあっていることをはっきりと知るであろう。その時すべてが完全であると知る。すべてが一つだと知る。ことはじめ(ことのはじ…
全身体性の吸気と全身体性の呼気。最吸と最呼 意識的な息のとおし方 ただ、そこに在れ ただ存在しろ 自分という人を捨て、命のために呼吸しているだけの存在になれ・・・・・・
これも印象に残っていることです。 ある操体関係の先生がいらっしゃいます。 この方、古谷三敏先生の代表作の主人公に似ており、私が陰で「○○○○○」というと、岡村さんにいつも「ハタケヤマ先生、ダメですよ!」と怒られます(笑) その先生、 私は「気持ちい…