三浦 寛(みうら ひろし)
空
絶
圧
命
息
天
宙
人間の暮らしにとって、重力があるのと無いのとでは、大違いである 生命あるものにとって、地球は楽園である 一週間ありがとうございました。 明日からは三浦寛幸が担当致します。 三浦寛
目でみる言葉 皮膚感覚で感じる言葉 重心の適正が受け止める言葉 重心と重力が受け止める言葉 重心の適正基準からソレなきゃいいんだ。 その基準からブレてしまうから病むんだ。 ブレることはからだにとって不快なことなんだ (生体のバランス制御とは重心の…
ウサギがカメに何故負けたのか。「これでよかった」と思うように励むこと。 人生、最後まで手を抜くな。油断するな。 健康のバロメーターも、重心のバロメーターも左重心にある。
おまえさんの職業、一体なにやってんだい? 私、行ったり来たりして遊んでます。 学びは遊学です。
霊体を抜けて空体へ。
あるケチな男がいて、どうも目が二つあるというのはもったいないと言うんだ。 こっちだけで暮らしていたが、どうも目が疲れると言うんで替えてみたら、知っている人が誰もいなくなった。 右目が見ていた重心と中心と、左目で見ていた重心と中心とはどうも違…
人生も脱皮(変態)が必要だ。 意識が問題、意識を再生する 橋本敬三先生から頂いた「千島学説」の冊子。
人生は、驚きが必要だ。学びにも、必要である 1週間ありがとうございました。明日からは三浦寛幸の担当です。 2022年春季東京操体フォーラムのご案内です。 2022年春季プログラム | 2022年春季フォーラム | Tokyo Sotai Forum www.tokyo-sotai.com コロナ禍…
人生も日々の連続性である。学びも日々継続である 己の人生をつらぬくこと、学問もそうである。 真魚(まーくん)と橋本敬三先生 2022年春季東京操体フォーラムのご案内です。 2022年春季プログラム | 2022年春季フォーラム | Tokyo Sotai Forum www.tokyo-s…
学ぼうとする、真の勇気が修行であり、生涯一貫した終わりのないものである 自分という個の人生を、肯定して受け入れること 小十郎(ちびちゃん) 2022年春季東京操体フォーラムのご案内です。 2022年春季プログラム | 2022年春季フォーラム | Tokyo Sotai F…
修業とは師とのご縁である 修業とは、自身がめんこい存在であることに気づくことである 師からめんこがられることが修業の早道 小十郎(ちびちゃん)と 2022年春季東京操体フォーラムのご案内です。 2022年春季プログラム | 2022年春季フォーラム | Tokyo So…
私が望むことを、私自身がわかっていないことを、生涯をとおして少しづつでもわかること。 修業も人生のご縁である。 凜(りんちゃん) 2022年春季東京操体フォーラムのご案内です。 2022年春季プログラム | 2022年春季フォーラム | Tokyo Sotai Forum www.t…
修業とは、身につけて疲弊(ひへい)しないものである。人生もみずから手を離すな。指1本でもつかんでいろ。 人と比べない、自身の生き方が修業である。
今週一週間は三浦寛が担当いたします。 今、このいのちがあって良かったと思えるのが、修業である。 ものごとの裏表がみえてくるのが、修業である。
左重心の ミトコンドリア。
なぜ、からだは右重心に偏差してしまうのか。
からだの構造から診てはいけないのが、重心のとらえ方。
かけ橋をつくる つくれば道が開ける
重心とは、真理を照らす鏡。
学び方を間違えると、数珠が切れる。
発想の転換。
どっから、どこまでが右腕で どこから、どこまでが左腕なのか これは、アートであり、全身一体一つの 総和のとらえ方がサイエンスである。 太極がサイエンス 分極がアート 非対称がサイエンス 対称性がアート 絶対性がサイエンス 相対性がアート すべて、サ…
右重心はアートであり、 左重心はサイエンスである。 2021年秋季フォーラム 2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催 テーマ「アートと操体」