「操体」で大事にしている「からだからのメッセージ」。
それは、「感覚」という、わたしたちがよりよく生きていくために必要なメッセージです。
それをある種の「情報」と捉えることもできますが、「メッセージ」として受け取るのでなければ、単に「感覚」を対象化して眺めたリ、あるいは、「思考」で意味づけをして処理してしまう。
特に「不快」につながるような「感覚」は、そのような傾向が多いように思えます。
ただ、臨床の場で体感するのは、そういった「感覚」の捉え方が変化していくということです。
はじめは「不快」な「感覚」をネガティブに捉え、「不快」という枠に閉じ込めたり、もっとひどくなるんじゃないかと妄想苦につながっていたのが、「からだ」の観点になると受け入れられるようになってくる。
「からだ」の観点から受け入れられるようになってくると、意識の振り子が「不快」から「快」に転じていくプロセスも起こってくる。
そういった変化に立ち会うとき、「感覚」を「メッセージ」として受け取るようになってきているんだなと、「からだ」にも「こころ」にも響いてくるんです。