東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

岡村郁生(おかむらいくお)

ここからの操体&これからの操体⑦

(続き) 最終日になりました。 今週のブログを見て「はじめての操体」じゃないよ!と思った方。 その方々には、謹んでお詫びいたします。ゴメンナサイ。 それでも、「操体法はシンプルです」と、言いたいのですよ。 そこで、創始者、橋本敬三師の語りを紹介…

ここからの操体&これからの操体⑥

(続き) はじめて操体法を学びたくて、三浦理事長を訪ねた最初の日。 講習会で強烈なボディブローを喰らった(気がした)のです。 操体の臨床講習なのに。 操体法の指導を受ける前に。 「死生観について考えてみなさい」と言われたからです。 操体法の技術…

ここからの操体&これからの操体⑤

(続き) 「ホスピスに入院してるからに出張に来てくれないか?」 操体&操体法を学びつつ、臨床をしているワタシに向かって、 本人から直接、頼まれたときがありました。 当時のワタシにとって、少し心の重くなるお願いでしたから、 三浦理事長に相談してア…

ここからの操体&これからの操体④

(続き) 終末期医療に携わる、ベテラン医師の方が教えてくれました。 「医学的に意味がなくても、患者に何かをしてあげたいと言う 想いから来る行動は、立派な医療です。 この想いが医療として確立し、形になったのが緩和ケアです。 QOL(=生命の質)の改…

ここからの操体&これからの操体③

(続き) ある医師の方が教えてくれました。 「臨床医の仕事の基本は、2千年前から何も変わらない。 話を聞き、一緒に考える。 人間の苦しみと無念を引き受ける」 このような臨床に向かう考え方は、とても「からだ」に響きました。 ワタシだけではなく、「…

ここからの操体&これからの操体②

(続き) 臨床経験の年数だけは、今年で31年になりました。 按摩する、指圧する、マッサージする。 鍼を打つ、灸を据える。 整復する。 それでも昨日書いたように、一体、何を支えているのか明確に出来ません。 そんなことを年頭に置きながら、三浦理事長に…

ここからの操体&これからの操体①

バトンを受けとってブログを担当する岡村です。 一週間、どうぞ宜しくお願いします。 地域の人々を支えるため、茅ヶ崎の湘南ライフタウンで鍼灸接骨院を 開業して今年で25年になります。 紆余曲折在っての25年とは言うものの、一体、何を支えにして今まで 「…

結構な健康と血行な寿命⑦

(続き) ある剣道の高段者の方から、愉快な実践を教えて頂いた。 「一眼。二足。三胆。四力」 宮本武蔵の五輪書 今週のお付き合い、有難うございました。 明日からは、瀧澤副実行委員長の登場です、お愉しみに。

結構な健康と血行な寿命⑥

(続き) 一つに、こころの安寧こそ「健康」に繋がるでしょうね。 速く終わって欲しい! 速く治って欲しい! 速く、はやく、ハヤク! 「速い」スピードで走っていく。 でも、その目的は何でしょう。何のために速さを求めていますか。 そうと訊ねたら、すぐに…

結構な健康と血行な寿命⑤

(続き) 質と量のちがい。 若い頃は、量が欲しい。 歳を重ねると、質が欲しい。 質にも、さまざまな変化はあり、違いを認識できること。 量にも、さまざまな大小はあり、違いを認識できること。 同質の協力(量)は、足し算にしかならないけれど、 異質な協…

結構な健康と血行な寿命④

(続き) 生命体なんだから、変化していくことを前提にする。 今の時点は、経過に過ぎず、未来から見た現在を、常に「意識」する。 それを繋げてくれる空間、その変化に即して入ってくれる「息」。 脳で感覚の統合を行っていたとしても、その過程で生じてい…

結構な健康と血行な寿命③

(続き) 例えば。 日本は勿論、3年以上世界中を不安に陥れている、コロナ禍。 まだ収束していなくとも、ウィルス共存方向に舵を切りました。 現時点におけるコロナワクチンは残念ながら、確実な効果ではなく、 インフルエンザウィルスのように、タミフルの…

結構な健康と血行な寿命②

(続き) 健康の定義を「公益社団法人日本WHO」から引用してみましょう。 「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、 肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、 すべてが満たされた状態にあること」(1947年制定) どうでしょう、健…

結構な健康と血行な寿命①

今週担当するのは岡村です、よろしくお願いします。 テーマは「健康と寿命」。 では、早速ですが皆様にとって、「健康」とはどのようなもの? 興味があったので、患者さん達にも尋ねてみました。 Sさん「普段どおりってことですかね」 Tさん「人との御縁かし…

表裏は、一体「=からだ」⑦

裏と表。 デザインをどちらにするかで全くイメージが違う。 入る部位と出る部位。 密な部位と疎な部位。 鍛えられる部位とそのままの部位。 薄い部位と厚い部位。 ところどころ、裏と表は協力し、繋がって拮抗し、バランスする。 表地と裏地。 若い時は「見…

表裏「いったい」について⑤

ゆっくり味わうこと、それはトイレの「間」。 なのでトイレ話を続けてしまうけれど、食事中ならば申し訳ない。 以前、三浦理事長からトイレ掃除について、含蓄ある実践語りを聞いた。 自分の使っている便器。 便器は汚いモノだろうか、と。 そりゃそうだろう…

表裏「いったい」について④

ゆっくりでないと、トラブルを起こしやすい内臓の働き。 電車を乗り継いで、通路や駅トイレを利用しているとき、 なぜだろうか、掃除中と書いてある看板によく出くわす。 ある時、物凄く出したかったので、多目的トイレに入った。 トイレの表からはわからな…

表裏「いったい」について③

トランプに裏と表がある。 「おもて」の絵柄が全て同じでないとトランプは困る。 見た目が同じでわからないからこそ、動きを活かせる。 「うら」の絵柄は全て違うし、働きや雰囲気も異なるからこそ、 各々を生かして、繋げたり、意味づけた遊び方も想像でき…

表裏「いったい」について②

ゆっくりと、ゆっくりと時は過ぎる。 ゆっくりとした夢のような居心地がここにある。 朝起きると1番初めにやること。 それは、まず水をいっぱいゴクリゴクリと飲み込むこと。 現在は、日本に様々な水が輸入され、また様々な加工された水や、 地方色豊かな天…

表裏「いったい」について①

石田実行委員から受け継いで一週間、岡村が担当です。 「おもて」と「うら」。 その言葉を「息」で、ゆっくりと、ゆっくりと味わっている。 味わいのなか、ワタシ自身に「からだ」がつぶやいた言葉。 おまえさんに、五十年以上も付着していたモノ。 日々の睡…

山で野宿⑦

空を見上げると海を感じ、地面を見つめていると山を感じる。 空の先、宇宙はいつも、円環を成して働いている。 円環に従ってあらゆるものは、丸くなっていくのだろう。 そのような傾向はきっとある。 循環から生まれ、その力が絶たれない限り、生命は栄えて…

山で野宿⑥

アスファルトではなく、絨毯でもなく、土の上を歩いている。 地面は、命でできている。 海も山も、凹凸のある形状で同じ。 そこに水や海水が流れているかどうかの違い。 凹凸のある地面、土の上に素足、ただ裸足でいれば感じられること。 寂しい気持ちになっ…

山で野宿⑤

人間にとって、生命にとって、空気は貴重だ。 それは、万物が同じ空気の息吹を分かち合うからだろう。 動物も、植物も、人間も皆が同じ空気を共有していられる。 山の中に包まれると、それを大きく味わえるし、感じ取れる。 山にある湖水面には、吹き抜けて…

山で野宿④

私の住んでいる神奈川県の山奥にはダムがある。 そのダムを見に行くのが好きだ。 そのダムの底は、数十年前まで普通の人達が暮らしていた村だ。 村一帯は、ダムを作るために水の中に埋まってしまっている。 道路は途中でダムの一部になり、水しぶきをあげて…

山で野宿③

ふいに思いつき行動できる有り難み。街を出て数時間走る場所。 遠くから近くなる山の麓につき、身支度を整え、登り始める。 山の山頂をめざし、地を踏み締め、カッパをきて、雨に打たれ、 その勢いとその激しさと、皮膚の感触を味わう。 何も考えられなくな…

山で野宿②

オートバイで山に出かけ、テントを張り、できるだけ人がいないような 場所を見つけ、ただ静かに座っていると「皮膚」の感受性は高まります。 今は頻繁に行けませんが、以前はそれ自体が自分の生き方のようにさえ 感じる瞬間も多く、「ゆるキャン」ブームの前…

山で野宿①

石田さんに続いて「山」をテーマにブログを担当します。 どうぞ、一週間のお付き合いよろしくお願いします。 前回のテーマ「海」と今回の「山」を例に取ってみても、 自然界は繋がっています。 すべての中に繋がりを感じ、「山」に行けば、繋がりの 働きかけ…

海で調う⑦

「からだ」を操ろうとして、重心を決めるのか。 その、流れに任せて、中心と重心を感じるのか。 海で裸となり、息を吐いて、相手と語りあう。 相手とは目の前にいる、誰かではないかもしれない。 息を吸って、相手と感じ合う。 相手とは目の前にいる、誰かで…

海で調う⑥

操ろうとして、中心を決めて使っているのか。 重く、感じるときは、ソレに乗ろうとする。 流れに任せて、重心を感じて使っているのか。 軽く、感じるときは、ソレに、乗れている。 どうしようもなく重い想いを抱くなら。 海岸で裸足となり、「からだ」の重さ…

海で調う⑤

波の音には、リズムがある。 潮の風には、言の葉がある。 流れという大きな循環に、瞬間で抵抗していた自分を恥じ、 それでもいいんだよと、大肯定で、息を吸い込む。 遡っても、憂いでも、からだは許容する。 その器の大きさに改め、すべてを器で受けとる。