三浦 寛幸(みうら ひろゆき)
本日で最終日になりますが、今週はフォーラム、そしてその前後の中で様々な気付きがあった一週間でした。 その中でも「からだに問いかける」ということが私自身まだまだその本当の意味での理解が出来ていないことを身を持って気が付けたことが一番の収穫でし…
昨日は告知していました2023年秋季東京操体フォーラムが開催されました。 約4年ぶりにルーテル市ヶ谷での開催ということで三浦先生、そして実行委員一同、参加者の皆様もこれまでのフォーラムとは一味も二味も違う愉しみ方が出来たのではないでしょうか。 改…
操体を学び始めてからずっと問いかけていることがあります。 それは「人の感覚の世界はそれぞれ本当に異なるのか?」ということです。 確かに人が好き勝手にからだを使って生きているならば、そうなのかもしれません。 しかし橋本敬三先生が言われている通り…
最近「重ねる」「重なる」という言葉が操体を学ぶことにおいて非常に重要なように感じています。 何を重ねているのか? じぶんとからだ じぶんの要求(楽)とからだの要求(快) じぶんの動きとからだの動き これら2つが完全に分極してしまった状態ではまず…
この学びの本質にあるものはからだからのメッセージを受け取ることと自身を生かしてくれているもの、この2つの気付きだと思っています。 この学びの門を叩いた当時、一番最初に教えられたことは「生かされている」ということでした。 その意味を理解してい…
昨日の続きになりますが、操体の臨床家として、そして自身の健康維持増進に繋げていくことにおいて操体と操体法の目的を達成することがとても大切になってきます。 その目的もただそれをただやっているだけでは本当の意味での健康維持増進には繋がりません。…
三浦先生、一週間ありがとうございました。 今週からは三浦寛幸がバトンを引き継いで担当致しますのでお付き合い下さい。 今回のテーマは「まるごと操体」となりますが、今回の秋のフォーラムのテーマにもなっていますので少しでも繋がることを書いていきた…
本日で最終日になりますので、今週体験したことを少し書いていきたいと思います。 今週月曜日に熱と関節痛で体調が良くなかったので、木曜日に病院で検査をしたもらったのですが、結果はA型インフルエンザの陽性であった。 予約が取れず病院に行くのが遅くな…
わたしがこれまで操体の学びの中で最も面白いと思い、熱をいれて学んできたことの一つが目に見えないもののふれ方、生かし方です。 わたしたちはそれを臨床で実践していますが、まだまだ謎が多くわからないことも多いです。 しヵし不思議なことに実際にから…
臨床の中でからだにふれていると「接触」の中でしかききわけられないからだの情報が確かにあるように思います。 「ふれる」ことで本人の意識を出来るだけ薄くしていき、その中でききわけることの出来るからだからのメッセージは自然治癒力に直結する。 それ…
昨日の続きになりますが、ひびきの余韻を残せる「ふれ方」とはどうすれば実践出来るのかを書いていきます。 ひとつはからだの動きとからだにとって自然な立ち方を学習すること ひとつはそれに適応した呼吸の生かし方を学習すること そしてもうひとつは皮膚の…
少し前の話になりますが、講習の中である実行委員の方に足を触れてもらったことがあります。 そのふれ方はまるで私自身のからだをやさしく包むような包容力があり、その余韻は現在もからだの記憶として残っています。 これは私自身の経験上の中での話になり…
操体の学びではからだと良い関係を築いていくために大切にしていることがいくつかあります。 言葉や文字もその一つで、例えば私達が体を「からだ」と表記しているのはからだが表現していること、そしてそのメッセージを受け取っていくために必要なことだから…
三浦先生、一週間ありがとうございました。 今週からは三浦寛幸が担当致しますのでお付き合い下さい。 今回のテーマは「ふれる」になります。 このテーマを頂いてから日々の自身のからだと向き合う中で受け取っていること、ブログの中からの実行委員の言葉、…
本日で最終日になります。 ここ何年間の間「スイッチ」という言葉がとても気になり、臨床や日常生活の中で常に問いかけていました。 皆様もスイッチが入ることで、いきなりやる気が出たり、表情が明るくなったりしたことを経験されたことがあるかと思います…
現在のじぶんの学びは何かとじぶんのしていることを重ねていくことをしているように感じています。 例えば からだの動きとじぶんの動きを重ねていくことであったり またからだが自然としてくれる呼吸とじぶんがする呼吸を重ねていくことをしています。 これ…
昨日の続きになりますが、なぜわたしが山に登ったのかを考えていました。 その問いかけの先にはきっと初日に書いた「なぜ学んでいるのか?」「なにを学んでいるのか?」の答えがあるように思えるのです。 昨日ようやく見えてきたことは「感謝」という言葉で…
昨日、山梨県にある八ヶ岳を登ってきました。 早朝4時から登山し、雨や雷雨等のトラブルもあり、最終的には帰宅することが出来たのが23時とわたしとからだにとってはかなりハードな一日でした。 その道中、現在じぶんが学んでいるからだの動きであったり、呼…
これまでの操体の学びの中で掴んできたことの一つに施術者の生き方は患者のからだに必ず反映されるいうことです。 操体法の臨床の特徴でもあるからだとからだとの世界で行われていることは本人達の意識下に上がらない様々なことが行われています。 その中で…
以前のブログでも書きましたが、わたしが操体の学びで得ていることの一つは「学び方」です。 その学び方とは「感覚の学習」でもあります。 当時は創始者の哲学を学び、そして師のやっていることを真似ていくことで、それを少しでも再現することをゴールにし…
三浦先生、一週間ありがとうございました。 今週からは三浦寛幸が担当致しますのでお付き合い下さい。 テーマは引き続き「何を学んでいるのか」になります。 いつも何かに追われているような日々の中で10年以上の期間、操体を学び続けている意味をいつも自分…
本日で最終日になります。 一週間を通じて「からだ」を強調してきたことには理由があります。 それは私達が操体で知りたいことの答えはからだが知っているからです。 そのからだからのメッセージを聞くために操体では作法やからだの動きを学習しています。 …
操体の学び始めた当時、大きく分けて3つ学ぶことがありました。 ひとつは橋本敬三先生が提示された哲学。 ふたつめは操体法の臨床に必要な介助・補助。 最後はからだの使い方のルール法則(般若身経)※現在はからだの動き。 当時はこの3つの学びを一つ一つ…
振り返ると操体を学問にしていくことの中で学んできたことは「からだの本来在るべきありのままの姿」と「自然な動き」を感覚を通じて学んできたように思います。 これは操体の臨床をうける人に言うことですが 「操体法の臨床は3つのうつわを作っています。 …
からだとの信頼関係を築いていくことにおいて大切なことの一つは意識のステージを変えていくことです。 例えば自身の生き方の中で意識の土台となるものが「楽」というものになると、からだもそれに応じた動きとつくり(構造)になる。 それは時間の経過と共…
操体を学びの中で一番苦労したことは「からだにききわける」ということを理解することでした。 自分がからだにききわけていることが果たして自分の本位のものなのか、からだ本来の声なのかがよく理解出来ていませんでした。 これはきっと操体を共に学ぶ同士…
わたしがはじめて操体に興味を持ち始めたのは28歳かその位の時でした。 その前から腰痛や肩こり等で悩んでいたので近隣にあるマッサージ店に通っていましたが一時的な改善はあるものの2,3日すると元に戻ってしまうことを繰り返していく日々。 その日々の中…
三浦先生、一週間ありがとうございました。 今週からは三浦寛幸が担当致しますのでよろしくお願い致します。 今回のテーマは「はじめての操体法」になります。 私がはじめて操体を学ぶ、操体法の臨床をうける方にお伝えしていることがあります。 ひとつは操…
本日で最終日になりますので「寿命」について少し書いていきたいと思います。 私達が現在学んでいる操体は「命の使い方」を学ぶ学問でもあります。 「からだの正当な使い方」にしても、「意識の使い方」にしても全て生き様と命の在り方に繋がる。 その使い方…
最近はいつも「からだにとっての健康と不健康」とは何なのかを常に自分とからだに問いかけています。 正直、わからないことだらけなのですが、一つだけ確かなことは私達が定めた健康とは明らかに異なる基準でそれを捉えていかなければならないということです…