三浦 寛幸(みうら ひろゆき)
昨日の続きになりますが、なぜわたしが山に登ったのかを考えていました。 その問いかけの先にはきっと初日に書いた「なぜ学んでいるのか?」「なにを学んでいるのか?」の答えがあるように思えるのです。 昨日ようやく見えてきたことは「感謝」という言葉で…
昨日、山梨県にある八ヶ岳を登ってきました。 早朝4時から登山し、雨や雷雨等のトラブルもあり、最終的には帰宅することが出来たのが23時とわたしとからだにとってはかなりハードな一日でした。 その道中、現在じぶんが学んでいるからだの動きであったり、呼…
これまでの操体の学びの中で掴んできたことの一つに施術者の生き方は患者のからだに必ず反映されるいうことです。 操体法の臨床の特徴でもあるからだとからだとの世界で行われていることは本人達の意識下に上がらない様々なことが行われています。 その中で…
以前のブログでも書きましたが、わたしが操体の学びで得ていることの一つは「学び方」です。 その学び方とは「感覚の学習」でもあります。 当時は創始者の哲学を学び、そして師のやっていることを真似ていくことで、それを少しでも再現することをゴールにし…
三浦先生、一週間ありがとうございました。 今週からは三浦寛幸が担当致しますのでお付き合い下さい。 テーマは引き続き「何を学んでいるのか」になります。 いつも何かに追われているような日々の中で10年以上の期間、操体を学び続けている意味をいつも自分…
本日で最終日になります。 一週間を通じて「からだ」を強調してきたことには理由があります。 それは私達が操体で知りたいことの答えはからだが知っているからです。 そのからだからのメッセージを聞くために操体では作法やからだの動きを学習しています。 …
操体の学び始めた当時、大きく分けて3つ学ぶことがありました。 ひとつは橋本敬三先生が提示された哲学。 ふたつめは操体法の臨床に必要な介助・補助。 最後はからだの使い方のルール法則(般若身経)※現在はからだの動き。 当時はこの3つの学びを一つ一つ…
振り返ると操体を学問にしていくことの中で学んできたことは「からだの本来在るべきありのままの姿」と「自然な動き」を感覚を通じて学んできたように思います。 これは操体の臨床をうける人に言うことですが 「操体法の臨床は3つのうつわを作っています。 …
からだとの信頼関係を築いていくことにおいて大切なことの一つは意識のステージを変えていくことです。 例えば自身の生き方の中で意識の土台となるものが「楽」というものになると、からだもそれに応じた動きとつくり(構造)になる。 それは時間の経過と共…
操体を学びの中で一番苦労したことは「からだにききわける」ということを理解することでした。 自分がからだにききわけていることが果たして自分の本位のものなのか、からだ本来の声なのかがよく理解出来ていませんでした。 これはきっと操体を共に学ぶ同士…
わたしがはじめて操体に興味を持ち始めたのは28歳かその位の時でした。 その前から腰痛や肩こり等で悩んでいたので近隣にあるマッサージ店に通っていましたが一時的な改善はあるものの2,3日すると元に戻ってしまうことを繰り返していく日々。 その日々の中…
三浦先生、一週間ありがとうございました。 今週からは三浦寛幸が担当致しますのでよろしくお願い致します。 今回のテーマは「はじめての操体法」になります。 私がはじめて操体を学ぶ、操体法の臨床をうける方にお伝えしていることがあります。 ひとつは操…
本日で最終日になりますので「寿命」について少し書いていきたいと思います。 私達が現在学んでいる操体は「命の使い方」を学ぶ学問でもあります。 「からだの正当な使い方」にしても、「意識の使い方」にしても全て生き様と命の在り方に繋がる。 その使い方…
最近はいつも「からだにとっての健康と不健康」とは何なのかを常に自分とからだに問いかけています。 正直、わからないことだらけなのですが、一つだけ確かなことは私達が定めた健康とは明らかに異なる基準でそれを捉えていかなければならないということです…
今までの臨床の中で患者のからだを健康、不健康という見方でからだと向き合ったことがありませんが、あえてその2つをわけてみるならば何が基準になるのでしょうか? もし健康診断等で定められている基準となる数値が全ての項目で基準値以下の人がいたとしま…
当たり前のことかもしれませんが、最近は健康が不健康に傾斜する過程に意識の使い方の間違いがあるように感じています。 私も怪我をしたり、からだに不調を感じたりする人間ですが、こういった時は大抵からだの要求やそのメッセージを無視した時に起こってい…
身近にいる人達の健康に対する価値観を聞いてみると様々な声が聞けて面白かったです。 「自分で決めた基準の体重が増減」を基準にしている人もいれば、 「(からだに)痛みがあるか否か」や 「おいしくごはんが食べれるかどうか」という人もいる。 中には「…
操体を学んでいると健康とは美味しいとこ取りをする部分食ではなく、常にからだの声に寄り添った全体食にしていくということがよく理解出来ます。 大抵の人達は4つの命の営み(呼吸・食・動・想)の中で最もコントロールしやすいものを1,2個を特化し健康…
三浦先生、一週間ありがとうございました。 今週からは三浦寛幸がバトンを引き継いで担当致しますのでお付き合いください。 今回のテーマは「健康と寿命」です。 いつも健康と聞くと真っ先に思い浮かぶのが青汁です。 子供の頃、CMで流れていたあの緑色のマ…
本日で最終日になりますが、最近は人体における裏と呼ばれる部位に注目しています。 例えば手掌や足の裏と呼ばれる部位。 これらには臨床における重要なヒントが隠されているようにみえます。 筋肉の圧通膏血だけでなく皮膚の柔軟性や色、体温を診るだけでも…
昨日のブログの補足になりますが、操体の臨床における施術者が見るべき患者の変化は動きと呼吸、そして意識と感覚です。 この4つの変化が同時相関相補し合う関係にあり、ひとつの変化すれば他の3つも時間の経過と共に変化するという捉え方です。 これらは…
先日、長年操体の臨床を受けている知人に施術をしました。 彼女は臨床の後にこんなことを言っていました。 「最初(当時)は足を揉んでもらっても、首に触れられても、何をしているのか分からなかった」 「でもいつか電車の中で少しの時間手を揉んでもらった…
臨床の世界に足を踏み入れてから「痛み」というものは一体何なのかをずっと問いかけています。 最近の臨床でも痛みはからだの様々な情報を被験者と操者に教えてくれることを実感しました。 そのわかったこととは 痛みとはからだの意志から発せられるものであ…
操体の講習では実技、そしてからだを背面から見ることが多かったように思います。 現在になって考えてみると、背面からの世界は人がどのようにからだと向き合っているのかを教えてくれるということも理由のひとつであったように感じています。 いつもブログ…
日々からだと向き合っているとからだにも意志と意識があるように感じています。 例えば「歩く」という動作を細分化してみる。 左足を一歩を踏み出すという自分の意識と同時に右足の踵は自ずと浮く。 そして両膝の裏筋が自ずと緩む。 そんなことをいちいち本…
三浦先生、一週間ありがとうございました。 本日から三浦寛幸が担当致しますのでお付き合い下さい。 今回のテーマは「うらおもて」となります。 先日臨床の中で疑問に思ったことがあります。 からだの「表と裏」ではなぜ筋肉や皮膚の厚み、そして表情が異な…
本日で最終日になりますが、私がこれまで操体の学びの中で掴んできたことは「学び方」であったのだと現在強く実感している。 その学び方とは積み重ねていくことではなく、これまでの自身の思考や癖を削ぎ落していくことでもあった。 その中で変わってきたの…
からだには幾つかの山と呼べる部位があります。 例えば肩甲骨、胸椎12、母指球。 これらの山はからだの動きにおいてとても大事な役割を果たしています。 それらを上手く使えないと谷となる部位には圧通・膏血が生じる。 つまりからだそのものは自然と同様…
自分が意識しなくても自ずと呼吸がからだが必要としている分だけ自然に入ってくる。 自分が意識しなくてもからだが調子のよくない部位を教えてくれる。 自分が意識しなくてもからだが必要な食事を教えてくれる。 自分が意識しなくてもからだが物事の判断をし…
よく「自然体」という言葉を使いますがこれは一体どういうことなのかを考察していきたい。 一般的には 気負いのない、自然な態度 無理のない形で立った姿勢 とありますが、いまいちピンとこない人も多いようです。 以前によく聞かれた「ありのまま」という言…