操体を学びの中で一番苦労したことは「からだにききわける」ということを理解することでした。
自分がからだにききわけていることが果たして自分の本位のものなのか、からだ本来の声なのかがよく理解出来ていませんでした。
これはきっと操体を共に学ぶ同士、もしくは操体の臨床を受けたほとんどの人が通る問いかけだとは思いますが、私は他の人以上にこれを理解出来ないことに深刻になっていたように思います。
そして学び始めてから数年間は自分自身の中でこの問いかけに対しわからないまま曖昧にしていましたが、ある時からその識別が出来るようになったのです。
その識別が出来たのも一言で言うならばからだに対し自分が「素直」になったからです。
その素直さというのは正当なからだの使い方を学習していく中で自分がからだを認め、そしてからだが自分を認めるという信頼関係を構築することで生まれてきます。
操体の学び、そして臨床の根底にあるものはからだと自分との信頼関係を築くきっかけを与えるものだと思っています。
明日に続きます。