からだからのメッセージを受け取る。
からだの声をキャッチする。
からだと対話する。
「自分」と「からだ」と、キャッチボールをするときに、
ひとつの手掛かりとなるものが、目にはみえない「感覚」です。
「からだ」がききわけているものを、
感覚を介して「からだ」にききわける。
このような、からだとの関係をどのようにして可能なものにしていくか。
目にみえないもの、なかなか言葉にできないことを、
様々な工夫をこらして臨床のなかに活かそうとしてきた歴史が操体にはあります。
からだという存在に、感覚という手がかりを頼りに、近づいていく、重なっていく。
今考えるとそのようなイメージが浮かんできます。
「重心」と「中心」の定義は変わり、
現在学んでいる内容にも、変化をもたらしています。
からだがききわけているものに、よりダイレクトに重なっている。
そういったことが、臨床のなかで可能となってきているのを感じています。
感覚を大切にしてきた学びの歴史があるからこそ、
現在学んでいることが非常にシンプルなものとして、感じられてくるのだと思います。