おはようございます。
「気持ちよさをききわければいいんだ。気持ちよさで治るんだからな」
という言葉。
この言葉に反応し、気持ちよさ、快適感覚に問いかける臨床を体系化したのは、直弟子の三浦寛先生でした。
三浦先生は、18歳の頃に70歳代の橋本先生に直弟子として数年間仕え、その後も橋本先生より学んでおり、臨床だけでなく思想、哲学にも造詣が深い。
操体法は、橋本先生の思想、哲学を含めた操体という大きな容れものの一部であり、そして操体と操体法はリンクしている。
創始者の思想、哲学に造詣が深く、実際に創始者の気持ちよさに従ったからだの表現に接触していた三浦先生だから、創始者の言葉に反応出来たのだと思う。
従来の操体臨床と快に問いかける臨床の、大きな違いは、からだを尊重すること。
治すのは、あくまで、からだ。
どんな高等とよばれる治療を受けたとしても、からだが応えてくれなければ、どうにもならないのだから。
気持ち良いという、快適感覚は、被験者(患者)のからだにききわける。操者(施療者)が決めつけるものでもなければ、被験者の思惑でもない。
だから、従来の辛い動きと楽な動きの運動感覚差を被験者に確認するやり方をして、楽という言葉だけを気持ちよいとしているのは、本来の方法ではない。
本人の運動で治るのではなく、気持ち良いという感覚によって、からだがバランス制御に向かう事で治るのだから。
だから、動診もその為の呼び水のような捉え方が必要と思う。
自分の動きとしての運動の数は限りなくある、しかし、からだの動きは8つしかないのだから。
一つ一つの動きで、からだに気持ちよさをききわける。
そして、そのききわけた気持ちよさを味わう時空で、からだはバランス制御に向かう。
この時空が操法となるが、従来のタワメの間とは質が違うものであるから、2~3秒とはならず人によっては何十分となる事もある。
そして、気持ちよさを味わった後の脱力の仕方も、瞬間急速脱力させるではなく、からだの要求に委ねた脱力の仕方となる。
また、操法の回数も2,3回やるという決めつけるのではなく、回数もからだにききわける。
この従来とは違う、からだに快適感覚をききわける診断法(第2分析・D2)が、体系化されたことで、はじめて操体法は、有難く参考とさせていただいてきた正體術から自立できたといえよう。
そして、おおいなる自然の一員であるからだを尊重し、からだから学ぶ事で、操体は深化し、進化していく事となる。