2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧
(つづき) 人間のように言葉をもたない生命体。 からだもそんな生命体のひとつだと思います。 「言葉」は通じなくても伝わるものはあります。 「さわる」で伝わるものが、 「ふれる」では伝わらない。 また、 「さわる」で伝わらないものが、 「ふれる」で…
(つづき) 「ふれる」ということばには、「感じる」という要素がそのことばの背景にしっかりと根付いているように感じます。 ふれようとするときに自ずと「ゆっくり」になることも、不思議ではありますが、ある意味では、とても納得できるのです。 「発信」…
(つづき) 「さわる」と「ふれる」では、様々な違いがあらわれます。 昨日は「間(ま)」のことについて、お伝えしました。 このことに関係して、 「さわる」と「ふれる」ではその動作のスピード感にも変化が生まれます。 何かにさわろうとするときは、反射…
「さわる」と「ふれる」。 本人の意識が変わるだけで、大きな違いが生まれてくることがあります。 「さわられた」、もしくは「ふれられた」対象にとっても、 まったく異なる情報として伝わります。 わたし自身、その違いとして興味深く感じているのは、 「さ…
瀧澤さん、一週間の投稿ありがとうございました。 バトン「タッチ」で本日から寺本が担当致します。 テーマは引き続き「ふれる」です。 よろしくお願いいたします。 普段意識することもなければ、気にもならないことですが、 私たちは実に様々なものに接しな…
直接何かに触れる以上に、「からだ」をとおして感じたり、「からだ」をとおして気づいたときに、「ふれる」という実感が湧いてくる。 操体の、「からだ」をとおした学習は、今まで何の疑問も持たずにやってきたことを、これまでとは違う角度から「ふれる」機…
今まで経験してきた運動指導の中では教わってこなかった(感じたことがなかった)「からだのうごき」を、操体の学びの中で体感し続けている。 膝に焦点を当ててみると、「立つ」ということも、立った状態での「動き」においても、これまで体験してきた運動指…
新たな理論において、「立ち方」の基準もまた進化している。 基準が変われば、「立つ」ということもまた、「ふれる」ことの一つだと感じられてくる。 わたしたちを生かしてくれている環境があり、その環境の中で調和に向かう「からだ」がある。 その環境の中…
触診をとおして、「からだ」と本人の関係性が変わってきている、と感じられることがある。 「からだ」にふれ、そこから伝わってくることが、ご本人やご家族が語ってくれる意識の変化と重なっている、と感じられることがある。 周りから指摘されて、はじめて…
操体の臨床で感じていること。 皮膚に触れながら、様々な「からだ」の変化を感じとっていく。 それは、触れている「からだ」の変化を感じとっているだけではなく、自身の「からだ」の変化も感じとっているということ。 診させていただいている「からだ」に触…
「からだ」に「ふれる」ことは、こちらからのはたらきかけだけではなく、ふれている「からだ」のほうからのはたらきかけもある。「ふれる」ことは、常に情報を発信している「からだ」が在ることに気づく、ということでもある。先に「からだからのメッセージ…
岡村さん、一週間の投稿ありがとうございます。 バトンを受け取った今週担当の瀧澤です。 引き続き、テーマは「ふれる」で一週間よろしくお願い致します。 「ふれる」というテーマをいただいたとき、まずふっと浮かんできたこと。毎日色んな「もの」や「こと…
操体の臨床とは「触れる」こと。 目に見えるものだけではない。 目に見えないミッシングリンクを感じる。 例えば、大気や重力の関係。 私たちは、それから離れることはできない。 食べていても。 呼吸していても。 動かしていても。 考えていても、それに触…
「操体」の臨床において。 ボディーの歪みは、絶対性のものと相対性のもので識別できる。 重心の適正なポジションを決め、触れているから、識別できる。 重心の適正が成されたポジションは、自然そのものに『触れ』ている。 まずは、刺激にならないように。 …
「ヒカガミ」。 「ひかがみ」と言われる膝裏の部位は、 「操体」の臨床を行う前の、触診において重要な意味を持つ。 「操体法」を習うのならば、必須の触診となっている。 触診は大切であり、「動診」に繋がっている。 ここにも静力学的な捉え方と、動力学的…
皮膚に触れている。 皮膚を意識しているか。 操体の臨床においても、当然のように触れている。 皮膚に触れているなら、皮膚常在菌にも触れている。 そして、 触れられた常在菌由来の物質は、皮膚の様々な代謝を調節して、 恒常性の維持ホメオスタシスに貢献…
「操体」を生活で生かせる。 「操体」の意識者も、健康増進につながる。 「操体の臨床」においては、 相手だけでなく、操者自身も健康になっていく。 触れるのは、何かを感じるためならば、 ほとんどの場合、皮膚を介して触れている。 私たちが感じるもの、…
「操体」の臨床において。 「触れる」のは、一体なんなのでしょうか。 ボディーのヒズミ。 ボディーのユガミ。 その象徴である「ヒカガミ」と称されし、膝のうら。 筋骨格横紋筋運動系の、主たる経路に触れる。 皮膚体壁内臓系の、主たる経路に触れる。 脳脊…
今回のテーマは「触れる」となりました。 一週間を担当する岡村です。 どうぞ、よろしくお願いいたします。 現在も学び続ける「操体」において、いったい、 ワタシは、何に触れたいのだろう、と考えました。 朝、目覚めし時。 「アッ原始感覚は、〇〇の変化…
「操体」は、「自力自療」を旨とします。治療者(操者)側の健康を考えられている有難い体系なので、学びを続けて来ました。
「操体」は、深山幽谷に籠って修業したり、また、トレーニングを要する様なものではありません。 日常の中で味わいながら学んでいくものです。自分に合っているので、学びを続けて来ました。
「癒しは、治しに通ずる」という考え方が好きで、学びを続けて来ました。
三浦 寛先生は、「橋本敬三がもし豆腐屋だったら、俺は今頃豆腐屋をやっているだろう。」と、よく話されます。 そんな師弟関係を結ばれた人の話を聴いてみようと、学びを続けて来ました。
人間は昔に戻れません。前に向って進化し、未来を劈かなければなりません。私は、「操体」の中にその可能性を見出していますので、学びを続けて来ました。
「操体」には、日本文化、芸道に通底するものがあります。 私は、それを強く感じますので、学びを続けて来ました。
※テーマは引き続き「何を学んでいるのか」です。 創始者 橋本敬三先生が、何を見て、何を考え、どうしようとしていたのか。それを探求するために、学びを続けて来ました。
本日で最終日になります。 ここ何年間の間「スイッチ」という言葉がとても気になり、臨床や日常生活の中で常に問いかけていました。 皆様もスイッチが入ることで、いきなりやる気が出たり、表情が明るくなったりしたことを経験されたことがあるかと思います…
現在のじぶんの学びは何かとじぶんのしていることを重ねていくことをしているように感じています。 例えば からだの動きとじぶんの動きを重ねていくことであったり またからだが自然としてくれる呼吸とじぶんがする呼吸を重ねていくことをしています。 これ…
昨日の続きになりますが、なぜわたしが山に登ったのかを考えていました。 その問いかけの先にはきっと初日に書いた「なぜ学んでいるのか?」「なにを学んでいるのか?」の答えがあるように思えるのです。 昨日ようやく見えてきたことは「感謝」という言葉で…
昨日、山梨県にある八ヶ岳を登ってきました。 早朝4時から登山し、雨や雷雨等のトラブルもあり、最終的には帰宅することが出来たのが23時とわたしとからだにとってはかなりハードな一日でした。 その道中、現在じぶんが学んでいるからだの動きであったり、呼…