新たな理論において、「立ち方」の基準もまた進化している。
基準が変われば、「立つ」ということもまた、「ふれる」ことの一つだと感じられてくる。
わたしたちを生かしてくれている環境があり、その環境の中で調和に向かう「からだ」がある。
その環境の中、「からだ」が安定した状態で、「からだにとって」必要な呼吸やうごきが営まれる。
止まっている「からだ」を自身が操るのではなく、つねにうごき続けている「からだ」に重なる自身がそこにある。
「立ち方」が、「からだ」をとおして、生かしてくれている環境にふれさせてくれる。
そういったことを感じとっていくことは、抽象的な話ではなく、からだをとおした学習で感じとっていくことができる。
足底のどこで地面と接触しているのか。
膝の裏スジや骨盤はどのような状態になっているのか。
うごきから捉えたつくりになっているかどうか。
「立ち方」が変われば、呼吸もうごきも変化していく。
呼吸やうごきは、生かしてくれている環境と重なっていると感じられてくる。