意識によって身につけていく学習は「おもての学習」。
ちょっとした意識づけによって、無意識的なことに気づいていく学習は「うらの学習」。
「うらの学習」では、無意識的にからだのしてくれていることや空間との関わりなども法則性として感じとっていける。
昨日は「からだの学習」について、こんなふうに捉えることができるのではないか、ということを書きました。
このように捉えてみると、これまでも「おもての学習」を行いながら、それと並行するように「うらの学習」も行われていたことに改めて気づきました。
自分が意識してコントロールしている訳ではないのに、無意識的に表現している「からだ」に気づく瞬間はあったんです。
ただ、重心の学習が「からだの学習」の中心になってくると、まるで「おもて」と「うら」がひっくり返るように隠れていたものが現れて、そういったことに気づく瞬間が飛躍的に増えてきたと感じています。
それと同時に意識の使い方もこれまでとは違うものになってきました。
今学んでいる正当なからだの使い方にかなうということにも、もちろん身につけていくプロセスはありますが、これまでコントロールすることに使っていた意識は、その仕事から解放され、最小限の意識づけで済むようになってきています。
その分、無意識的にからだがしてくれていることや空間との関わりに意識は向きやすくなる。
それは、からだの内側の変化だけではなく、外側の変化も素直に感じとっていくうえで必要なことだと思います。
1日目と2日目のブログに書いたように、頭の向きによって起こってくる呼吸や感覚の変化を感じとることは特別なことではありません。
なぜなら、はじめにからだが空間の変化をききわけてくれているからです。
臨床においても、生活においても、呼吸や感覚、うごきなどをとおして、からだと共にその変化を感じとれるようなつくりになっていくことが健康維持増進の核になるのでは、と思っています。
2024年春季東京操体フォーラム開催致します。