自分自身が開かれた状態になっているとき、特に意識していなくても、ふっと「からだ」から感じられることがあります。
「からだ」の学習として、呼吸やからだの動きをとおしているわけではないのに、おのずとそういう呼吸になっていたり、からだの動きとして表現されていたり。
「無意識的に」そうなっているわけですが、それは、一生懸命やり続けて、「自分が無意識的に」できるようになっているという感じではないのです。
もともと、そのように設計されている「からだ」が「からだの無意識」によって表現してくれている。
操体は健康維持増進学です。
「自然法則」に基づいて、誰がやってもそのようになる、ということを具現化できるように進化し続けています。
そして、「感覚」という「からだからのメッセージ」を大切にしています。
健康という誰にとっても身近なテーマを、「からだ」という誰にとっても身近な存在をとおして向き合っている。
「感覚」といっても感じ方は人それぞれです。
どのように感じられるかは、そのときの「からだ」と自分の関係性でも変わってきます。
ただ、ふっと「自分の意識」が外れたときに「からだ」から感じられることは、普段は気づきにくいけれど、素の「からだの感覚」として、誰もが受け取っている「からだからのメッセージ」なのではないかとおもうのです。
それを生かしていけばよりシンプルに「からだ」に伝えていくことができる。
シンプルに「からだ」に伝われば、その人自身も普段の生活の中で生かしやすくなる。
生きた学びになるかどうかは、伝わった先でも生きてくるかどうか。
そのような目線を持ち続けることも必要だと、学びの中で感じています。
(続く)