おはようございます。
今回のブログ担当も最終日となりました。
今回のテーマは「飛ばす」でした。
ふと、橋本敬三先生の書いた文章が浮かんできました。
生き残るものが勝つ。生き残れるか残れないか。地球上には四~五千メートルの高地に住む種族もある。平地にいるわれわれは毎日フンダンに空気を吸いながら有難いとも思っていない。公害だ、企業がわるい、国や自治体がわるい、と言う。となりで公害もなくピンピンしている人もいるのだ。手前だけ害を受けているとさわぐとき、ちょっと考えてみる必要がある。
これは昭和51年の年頭所感の文章の一部ですが、はじめて読んだ時は、医師がこういうことを書くのかと、ぶっ飛んでしまいました。
しかし、臨床でからだ本然の呼吸に委ねながら変わっていく被験者を見ていると、呼吸の大切さというのを改めて感じます。
呼吸によって生命現象は変わる。
誰もが呼吸をしなければ、その存在を保てない。それだけ生命にとって重要なのであるが、その事を普段自覚できているだろうか。
日常の暮らしの慌ただしさのなかに埋没しているような気がする。
それでも、生きている限り、無意識にも呼吸がなされ生命現象は営まれている。
有難い事だと思う。
そして、その有難さを元に、呼吸の仕方が変わっていけば、健康の基を正して底上げしていくことが可能だという事。
逆に、有難さに背を向け、そんなのやってくれていて当然だという態度でいれば、健康は基の方から揺らいでくる。
冒頭の橋本先生の文章からは、他を非難して自分の権利を主張する前に、自分は自分自身の健康に対して責任を果たしているか考えてみる必要があるのではないか、といった趣旨を感じる。
呼吸の仕方、とおし方に関しては、世間一般では呼吸を単一的に考えて○○式呼吸法とか色々あるようですが、呼吸はからだの動きと密に連関している為、からだの動きとリンクした学びが必要であり、その際の感覚のききわけも重要であると思います。
それはともあれ、今のご時世、孤独感を感じている人は多いと思います。
しかし、生きているという事は、無意識にも呼吸をつうじて生かされているという事であり、生かしてくれている存在があるという事。
その存在は「ここにいていいんだよ」と、無償に生命活動の営みを陰から支えてくれている。
生きている限り、そういう味方が常に寄り添ってくれている。
そこに想いを馳せれば、一人ではないと思えるし、自信が持て元気も湧いてくると思うのです。
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
明日からは畠山裕美先生の担当となります。
来週もどうぞ御覧ください。
友松 誠。