東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「常識を疑う目」より・・・自明だけでなく。

おはようございます。 ふと、頭に浮かんだメロディー。 ♪ いつだってわすれない エジソンはえらい人 そんなの常識 タッタタラリラ~ ♪ 歌手:B.B.クイーンズ 作詞:さくらももこ 作曲:織田哲郎 おどるポンポコリン アーティスト: B.B.クィーンズ,さくら…

「常識を疑う目」より・・・どう見える?

おはようございます。 一般的に、目で見るという行為は、メカニズム的にカメラのような仕組みとその情報が脳に伝達されて見ている、という説明がなされる。 しかし、生体はカメラと違う。例えば、アモーダル補完というのがあるが、これは対象物の一部がレン…

「常識を疑う目」より・・・救いの生命観を持つ。

おはようございます。 昨日ブログを書いていて、書き進むまま文中に「目から鱗が落ちる」と自分で書いていましたが、なにかこの言葉が離れなくなっていました。 目から鱗が落ちるとは、何かがきっかけとなり、急に視野が開けて、物事の実態が理解できるよう…

「常識を疑う目」より・・・ありのままを見る。

おはようございます。 ふと、アンデルセン童話の「裸の王様」の話が思い浮かびました。 この物語は、衣装にうつつをぬかす王様が、仕立て屋を装った詐欺師にだまされ、下着姿で町を練り歩くというストーリーだ。 詐欺師は、「馬鹿で愚かな人間には見えない」…

「常識を疑う目」より・・・大人の良識。

おはようございます。 常識を構築しているのは我々大人たちだと思います。 生まれたばかりの赤ん坊に常識は通用しない。だから、親をはじめ家族、まわりの大人たちが社会生活も営めるよう教育しながら育てていく。 大人の役割は重要だ。しかし、その大人たち…

「常識を疑う目」より・・・良識を育む。

おはようございます。 東京操体フォーラム実行委員ブログ、今週は友松が担当いたします。どうぞ宜しくお願い致します。 今回のブログのテーマは「常識を疑う目」。 単に「常識を疑う」という事をテーマとしたのではなく、「常識を疑う目」としていることに意…

身体芸術と操体

昨日の秋季東京操体フォーラム、お陰様で無事に終了致しました。 ご参加くださった皆様、ありがとうございました。 今回は「身体芸術と操体」というテーマにまさにピッタリなミュージシャンの佐藤正治氏にご参加いただいたり、相談役の川崎先生がいつも以上…

途方もないけれど愉しい

おはようございます。 本日は東京操体フォーラムが開催されます。 今回ブログのテーマとなっている「常識を疑う目」 まさにそんなまなざしに通じる話が飛び交うのではないでしょうか。 かくいう私も発表の機会をいただきまして、 私が今回「メス」を入れてみ…

空間を介して吸収する

今回、機会をいただいて「常識」と「非常識」について 思いを巡らしていますが、 自分自身を振り返ってみると、 とはいえ常識に「縛られて」いるようなところがたくさんあるように感じます。 一番そのことを感じるのは、赤子や幼児と接する時です。 例えば、…

宿りしもの

「操体の常識は、世間の非常識」、 とは仲間内でよく話のでる話題ですが、 操体の目指しているところは、 からだにとっての本当の常識って何なのかということに 既知未知含めて学問にしていくことだと思います。 その方法として採用している画期的な方法が …

空間を与える

モノゴトに向き合うためには ただ向き合うだけではなかなかうまくいかないように、最近感じている。 これは単に時間の長さの問題ではないように思う。 短くても、良質の時間を過ごすことはできる。 例えば、普段の仕事や生活の流れのままに 何か別の大切なこ…

常識から生まれた非常識

「非常識」といっても一括りにはできないように思います。 常識と正反対のものを、敢えて選択した結果の非常識があれば、 常識をとことん精査した結果、「あれ?」と疑問を持ち 今までの常識を見直すことで非常識が生まれることもあるように思います。 「操…

大きな器

おはようございます。 瀧澤さんのウサギのエピソード、大好きです。 一週間ありがとうございました。 本日から寺本が担当します。 テーマは引き続き「常識を疑う目」です。 宜しくお願いします。 疑う前にまず 身につけることすら容易ではないもの。 「常識…

共に生きる

自分と向き合うということは、「自分」で完結せずに、その「自分」を生かしてくれているものにも目を向けることなんじゃないかと感じています。僕らは何と共に生きるのかこの問いが抜けてしまうと、操体における身体表現は運動としての身体表現で終わってし…

黒いウサギ

幼稚園の頃、あれは確か授業参観日。各々が画用紙に描いたウサギを見て、あれ?自分だけなんか違うと感じました。周りのみんなは白やピンクのウサギを描いていたのに、僕が描いたのは黒いウサギ。いつか図鑑で見たアマミノクロウサギを思い出し、「黒いウサ…

不快を避けたから

橋本先生の時代においては、操体法は「楽な動き」を選択してきました。時代が変わり、操体は「楽」から「快」へ、そして、さらに……という具合に常に進化し続けています。その地点から「楽な動き」というものを振り返ってみると、ある疑問が湧いてきます。そ…

まるごと

一般的に感覚や知覚というものは、 視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、その他の感覚もそれぞれの様式に従って知覚しています。光と音は区別できるし、熱さと味は区別できる。しかし、言葉を持たなかった時期の僕たちは、からだに入ってきた感覚を無様式に全体的…

原始感覚

「原始感覚」……「からだ」にとっての快・不快を ききわける能力。またの名を勘。橋本先生は、「からだの設計にミスはない」の中で「原始感覚」について触れておられます。この「原始感覚」について、「天来の感覚」、「神からの授かりもの」と書いておられま…

僕らのゴール

「大人」を最終的なゴールに据えて人間の成長を考えるともったいない気もします。「大人」になるにつれて身に付けていく「息」、「食」、「動」、「想」の過程にあるものは「自分の意思」と集団の中でのルール。これも、欠かすことのできない「環境」との関…

飽くなき好奇心

香さん一週間ありがとうございます。 今週担当の瀧澤です。引き続き、テーマは「常識を疑う目」です。よろしくお願い致します。「常識を疑う目」を持つ人間の言動は、時として非常識のレッテルを貼られることがあるかもしれません。しかし、「常識を疑う目」…

感覚と芸術とからだ

からだの本質とはなんだろう。 科学は進歩して、かなりのことがわかってきている今。 だからといって全てがわかっている訳ではありません。 常に なぜ? なぜ? どうして? 小さい子供が何にでも興味をもち、母親に質問する姿がふと思い出されます。 このシ…

感覚と向き合う

操体、操体法を学んでいて感じていることは 自分の感覚を信じることができるように 日々「どれだけ自分と向き合うことができる」かです。 それは自分がやっていることだけに目を向けるということではありません。 自分がやることに目を向け続けるために 世の…

感覚に光をあてる

常識に疑いをもつということは 言葉で表現すればするほど 簡単なものではないと感じます。 疑いを持てる 疑いという視点に気づくために重要になってくる要素の一つが 自分の感覚だと思います。 どの感覚が大切になるかという詳しいことは 今の私には表現でき…

教養の偉大さ

恥の文化、罪の文化を知ってから 異文化を知ることは からだをみるために非常に重要なことになると 今まで以上に感じています。 近年、リベラルアーツや教養の重要性が見直されていますが、 まさにその通りなのだと感じ 戻ってこない過去を振り返り 今やるべ…

文化

常識を意識し、 自分がいかに縛られ 囚われているかを感じている中で、 罪の文化と恥の文化を知りました。 日本は恥の文化だそうです。 これを知り、安堵した自分がいました。 常識から外れずに過ごすことに囚われていた自分を 恐れていた自分を 責めるので…

思い込みに気づく

常識は私の思い込みであると知る機会を得てから 常識 当たり前 当然 という言葉を意識することが増えました。 いかに自分が縛られているか いかにすがっているか いかに頼っているかを感じることが増えました。 2018年秋季フォーラム 日時:2018年11月23日(…

思い込み

今日から7日間担当します、香です。 よろしくお願いいたします。 常識を疑うことは、これからの社会では必然になってくる力なのだろうと感じます。 自分の経験を振り返ると、今までは、「常識外れ」と言われることが怖かく 常識と言われるもの 自分の知って…

元素転換と鶏の殻⑦

鶏が卵を産む。 生んだその卵の殻にはカルシウムが11グラム存在しているとする。 しかし、その鶏の啄んだエサにはカルシウムが1グラム程度しか配合 されていないこのパラドックスを、現代の栄養学、生理学だけでは説 明できないのである。 しかし安保徹博士…

母なる海水の奇跡?⑥

1897年、フランスの生物学者ルネ・カントン氏は、現代でも考え られないほどの奇妙で常識を外れた実験をしている。 その大胆な実験とは、氏の飼っていた愛犬の血液(注:約0.9%塩分) と、海水(注:約3%塩分)の10分の一である約0.29%に海水を薄めた ものを…

Dr.プラークという扱い⑤

千島学説には橋本敬三師のような支持者もいる。 後継者、支援者でもある森下博士が現在もその考察を続けており、血 液中に蠢くように認められるものを先輩指導者に尋ねるたび、「それ はゴミ(プラーク)だ」と、失笑され続けていたと森下博士は語る。 ガスト…