おはようございます。
ふと、アンデルセン童話の「裸の王様」の話が思い浮かびました。
この物語は、衣装にうつつをぬかす王様が、仕立て屋を装った詐欺師にだまされ、下着姿で町を練り歩くというストーリーだ。
詐欺師は、「馬鹿で愚かな人間には見えない」という特別な服を王様に着せるが、王様本人も家来達も町の人達にも見えない。
それもそのはず、本当はそんな服などなく、みんな馬鹿で愚かな人間と思われたくないが為に、見えているように取り繕っていただけ。
それを、見栄や体裁を持たない一人の子供が「王様は裸だ」と叫ぶことで、みんな騙されていた、と真実に気付く。
その子供の一言で、目から鱗が落ちる思いだった大人も多かったことでしょう。
「常識」という社会通念も、何か似たようなものがあると思います。
常識知らずは、恥知らず、礼儀知らず、世間知らずにも通じるものがある。
そう思われたり、言われたりするのを避ける為に、その常識や習慣にに合わそうとする。
それはそれで悪い事ではない。「郷に入れば郷に従え」という諺もある。
しかし、常識を優先するあまり真実を見ようとしなくなったり、視野が極端に狭くなったりしたのでは本末転倒、本質転倒なのだと思います。