瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)
操者はあくまできっかけで、操者という意識すらなくなってくる。からだでいい。からだがいい。からだという生命現象が、空間という生命現象と重なっている。その間(ま)で味わい、変化していくことに委ねていたい。からだは必要なプロセスを生命現象として…
からだに委ねていると、皮膚も内臓も内部感覚はどれも有難い。どうしたらいいのか、教えてくれる。感覚は感謝そのものだということも素直に入ってくる。からだが主語になる基準が在る。今も体感し続けている。
色をつけずにからだから感覚をいただく。感覚に不快や恐怖や記憶、色々な色がつくのも生命現象。けれども、それらが外れてすきとおった感覚としていただけるのも生命現象。からだが主語になれば、ウソじゃないと感じられるのも生命現象。ほんとうに息がから…
意識が更新すると、からだからいただく感覚も更新する。何一つ無駄な感覚はないと感じられる。それでいて、ほんとうに必要な感覚も感じられる。からだを前に、ときに畏怖の念が湧くことがある。「わたし」の想像を超えた生命現象がからだそのもの。
からだの邪魔をしない。一緒に味わう間(ま)に在る。空間もからだもわたしも重なっている状態で生命現象が起こっている。それが広がり、伝わる間(ま)が在ると感じられてくる。息が入ると同時に、快は満ちていると自覚されてくる。その間(ま)を味わって…
空間と重なってからだがききわけている。内部感覚で「快」も「不快」もからだのメッセージとして委ね、味わえる。からだが主語で営まれる生命現象がある。他に必要なことはあるのでしょうか。あるのなら、それもからだが教えてくれる。
からだがつないでくれる間(ま)がある。岡村さん、その間(ま)は感謝。今日からからだでつながる瀧澤です。よろしくお願い致します。生かす力の環境は届いていますか。「はい」とからだで感じられるなら、そのままいただく生命現象の間(ま)に在る。息は…
からだからいただいて、感じられることがあります。 からだがききわけていることを素直にいただくと、からだが教えてくれる、ということ。 環境ということも、からだはどんなふうに教えてくれるんだろう。 そんなふうに向き合っていました。 ほんとうにそう…
からだからいただいて、感じられることがあります。 本人の不満とは関係のないところで、からだに「快」は満ちている、ということ。 臨床の空間も一つの環境です。 操者のからだも環境。 被験者のからだも環境。 これだけあれば、もうわたしは要らない。 置…
からだからいただいて、感じられることがあります。 誰かがそういったからそうなのではなく、からだで感じられたからそうなのだ、ということ。 迷ったときは初心に返れ、と言いますが、その初心はどこにあるのか。 わたしの中にあるのではなく、からだの中に…
からだからいただいて、感じられることがあります。 からだが感じている環境は元気の素になっている、ということ。 漠然とした不安や焦りを感じているとき。 身心の状態を立て直そうとあれこれやっても、今一つのことがあります。 そんなときも、わたしの思…
からだからいただいて、感じられることがあります。 「息」は、入れようとしないほうが入ってくる、ということ。 以前は作法が先にあって、その作法にのっとって「息」と向き合っていました。 どこかに「息」を操ろうとしていたわたしがいたのです。 けれど…
からだからいただいて、感じられることがあります。 「わたし」が感じている環境と、「からだ」が感じている環境は違う、ということ。 どうして、そのように感じられるのかという理由。 それは、「息」が教えてくれるからです。 わたしの周りの環境が、わた…
岡村さん 一週間のブログ投稿ありがとうございました。 今日から一週間、「環境」というテーマで繋いでいく瀧澤です。 よろしくお願い致します。 からだからいただいて、感じられることがあります。 「生かす力の環境」を身近に感じられるようになってきてい…
色々なことに手を染めるよりも、師について、確かなモノを身につけていきたい。 そんな想いから、操体とのご縁をいただきました。 初めから学びのゴールを設定していたわけではなく。 こうなりたいという明確なビジョンがあったわけでもなく。 ただ、臨床に…
「からだ」からいただくという姿勢によって、臨床も変わってくる。 この頃はそんなことも、確かな実感として「からだ」からいただいています。 操体をとおして学んできた、臨床では「からだ」の要求を満たしていく、ということ。 開業してからこれまで、ほん…
「からだ」そのものにインプットされた記憶は、いつでも鮮明によみがえる。 師の臨床を初めて受けた時のこと。 師は何も聞かなかった。 「からだ」にふれただけだった。 「からだ」が主語になる空間になっていた。 何も知らない「私」は、それを言い表す「こ…
習い始めの、操体法や般若身経(からだの使い方、動かし方)を身に付けていく過程。 身に付くのに、理解するのに時間はかかっても、その過程は「私」を満たしてくれました。 「からだ」をとおして、「私」は修業の只中にいる、という実感。 この実感が、以前…
「からだ」が主語になっていなかった、と今気づかされる。 不思議なもので、「からだ」が消えると「今」も消えてしまう。 「今」が消えると、「ほんとう」の感謝ができなくなってしまう。 本当のきもちといっても、その奥にある「ほんとう」にふれていないと…
「からだ」が主語になっているか。 操体における「修業」と捉えることもできます。 これまでも「からだの学習」をとおして、「からだの要求」にふれてきました。 自分がどうしたいかの前に、「からだ」はどうしたいのか。 ちゃんと「からだ」にききわけられ…
岡村実行委員一週間のブログ投稿ありがとうございました。 今日から担当の瀧澤です。 引き続きテーマは「修業」でつないでまいります。よろしくお願い致します。 「一生修業なんですね」 何年か前に、ご自身でも色々と勉強されている方から言われたことがあ…
その日の空を見上げること。 空気を介して、皮膚で感じられる変化を味わうこと。 太陽の光や雲、風や水、ときには虹など、とても惹かれる自然現象との出会いがある。 なぜそのような現象が起こるのだろうかという理由は、「からだ」の植物的感覚をとおして触…
人間として思考し、判断していくこともできる。 動物のように、好ましいものに近づいて嫌なものから逃げることもできる。 植物のように、動けなくても変化をありのままに受け入れることもできる。 「からだ」の中にあるものは、それぞれに機能していてどれも…
頭で理解したり、きもちで共感したりすることもできる。 その前に、「からだ」で共振、共鳴することもできる。 思考や感性でキャッチする前に、原始感覚で振動をキャッチすること。 先日の岡村実行委員のブログの中で紹介されていた、「なぜ植物は緑色をして…
植物の生命力には、見た目の美しさとは裏腹に、ときにゾッとするものを感じることがあります。 そんなときは、人間のスケールを超えたものに触れている、と感じている瞬間。 住んでいる処の勝手口の裏に、ずっと植わっていた蕗(ふき)がありました。 管理人…
散歩の度に目にしていたスギナの水滴のつき方は日毎に変化していました。 通常水気孔から水蒸気として排出される水分は、大気の温度や湿度の変化に対応して、気体から液体へと状態を変え、その大きさやつき方もその時々で様変わりする。 朝を迎えたときに見…
つい先日、久慈でも雪が降りました。 散歩道の小脇も、朝には霜が降りて白くなりだしています。 季節の移ろいを感じながら、春頃のことを思い出します。 朝の日光を浴びてキラキラ光る足下のスギナに、よく目がいっていたこと。 キラキラ光っていたのは、ス…
岡村実行委員、一週間のブログ投稿ありがとうございました。 今週担当のMr.植物こと瀧澤です。テーマは引き続き「植物」で想いを繋いでまいります。 一週間よろしくお願い致します。 「からだ」が「からだの学習」をしてくれている。 そんな現在進行形の操体…
いただいたことを、次につないでいく。 「からだ」をとおしていただいていることは、 ギブの連鎖になっているんだなあ、と感じています。 伝えようとして伝わっていくこともあるし、 伝えようとしなくても伝わっていくこともある。 受け取る側の感性で、どん…
自然の中に美しいと感じられることがあります。 空を見上げることも、日光を浴びることも、風に吹かれることも、そうです。 お腹が膨れるわけではないけれど、美しいと感じられることもわたくしのたべものです。 「そのように感じられる」感性の基層に、から…