瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)
初日にこんなことを書きました。 「まるごと操体」と向き合うことは、「いのち」や「宇宙」、「真理」といったものと向き合うことに等しい。 健康たらしめているものは、わたしたちの意識行動だけではなく、それを支えてくれているからだや、わたしたちを生…
それぞれの営みの中で、はじめに位置する息。 この空間から空気をいただくいということにおいては、選択の余地がないほど、環境そのものをいただいているといってもいい。 操体は呼吸の生かし方もそれぞれの分析法において変化している。 楽に問いかけた運動…
日々の営みの中で他人に代わってもらうことのできない自己最小限責任生活として、操体では息、食、動、想の営み、環境との関わりを重視してきました。 それぞれの営みは同時相関相補性でつながっていて、この営みをどう営んでいくかということが、日々の生活…
楽に問いかけた運動分析と、快に問いかけた感覚分析の違いには、意識の生かし方も含まれる。 からだに感覚をききわけるためには、からだに意識を向けていく。 思考意識から意識感覚へ。 そこで重要なことは、「ゆっくり」動きを表現すること。 からだがきき…
生体のバランス制御が楽から快に変わり、運動分析から感覚分析へと操体法は進化してきました。 一つ一つの動きをとおして「快適感覚」をからだにききわける動診・操法。 「からだの動き」を表現し、からだに意識を向け、「快適感覚」の有無を確かめる。 から…
感覚という「からだからのメッセージ」を受け取る「うつわ」をつくっていくこと。 その「うつわ」に入ってくるメッセージの中から、「からだが悦ぶ」ことを感じとっていくこと。 メッセージが意識に響いたとき、自分ごとになっていく。 対になる動きを比較対…
岡村さん、意識へ響くメッセージ集、ありがとうございました。 学びの内側から「まるごと」操体にふれさせていただいている。 そんなふうに感じられた一週間でした。 今週は瀧澤が引き継ぎますので、どうぞよろしくお願い致します。 今回のテーマは「まるご…
直接何かに触れる以上に、「からだ」をとおして感じたり、「からだ」をとおして気づいたときに、「ふれる」という実感が湧いてくる。 操体の、「からだ」をとおした学習は、今まで何の疑問も持たずにやってきたことを、これまでとは違う角度から「ふれる」機…
今まで経験してきた運動指導の中では教わってこなかった(感じたことがなかった)「からだのうごき」を、操体の学びの中で体感し続けている。 膝に焦点を当ててみると、「立つ」ということも、立った状態での「動き」においても、これまで体験してきた運動指…
新たな理論において、「立ち方」の基準もまた進化している。 基準が変われば、「立つ」ということもまた、「ふれる」ことの一つだと感じられてくる。 わたしたちを生かしてくれている環境があり、その環境の中で調和に向かう「からだ」がある。 その環境の中…
触診をとおして、「からだ」と本人の関係性が変わってきている、と感じられることがある。 「からだ」にふれ、そこから伝わってくることが、ご本人やご家族が語ってくれる意識の変化と重なっている、と感じられることがある。 周りから指摘されて、はじめて…
操体の臨床で感じていること。 皮膚に触れながら、様々な「からだ」の変化を感じとっていく。 それは、触れている「からだ」の変化を感じとっているだけではなく、自身の「からだ」の変化も感じとっているということ。 診させていただいている「からだ」に触…
「からだ」に「ふれる」ことは、こちらからのはたらきかけだけではなく、ふれている「からだ」のほうからのはたらきかけもある。「ふれる」ことは、常に情報を発信している「からだ」が在ることに気づく、ということでもある。先に「からだからのメッセージ…
岡村さん、一週間の投稿ありがとうございます。 バトンを受け取った今週担当の瀧澤です。 引き続き、テーマは「ふれる」で一週間よろしくお願い致します。 「ふれる」というテーマをいただいたとき、まずふっと浮かんできたこと。毎日色んな「もの」や「こと…
今日が最終日となります。 今回の「何を学んでいるのか」というテーマをいただいて今感じていること。 「何を学んでいるのか」と自分に問い続け、それに応え続けるということが、いかに大切かということです。 それによって、自分が今取り組む課題やテーマも…
自分自身が開かれた状態になっているとき、特に意識していなくても、ふっと「からだ」から感じられることがあります。 「からだ」の学習として、呼吸やからだの動きをとおしているわけではないのに、おのずとそういう呼吸になっていたり、からだの動きとして…
「からだ」に対して素直になることは、自分に対しても素直になること。 そのように感じられてくると、自分を生かしてくれている「からだ」への感謝だけではなく、今の自分にとって必要なことにも意識が向いてきます。 呼吸やからだの動きから感じとれる感覚…
「感じとろう」としているときは、「からだ」と向き合っていても、その主体は「自分」。 届いてくる「からだからのメッセージ」は限られたものになってしまう、というよりも、ほんとうは届いているのに、それに気づけない状態になってしまいます。 師の指導…
学びにおける「素直さ」とはなんでしょうか。 「何を学んでいるのか」という問いと向き合いながら感じていること。 呼吸やからだの動きのとおし方など、教えて頂いたことを自分の色をつけずにそのままやってみる。 やってみたことの中で感じられたことを一つ…
「何を学んでいるのか」と自分に問いかける。 それは、それを学ぶことで何を成していくのか、という問いかけに繋がっいく。 操体を学ぶにあたっては、操体を感じとっていくこと。 ただ、それだけではまだぼんやりで、生かす方向までは見えてこない。 感じと…
岡村実行委員ありがとうございます。 バトンを受け取った今週担当の瀧澤です。 一週間よろしくお願い致します。 今回のテーマは「何を学んでいるのか」です。 操体・操体法を学び続ける中、「何を学んでいるのか」という問いに対して今感じていること。 師に…
学べば学ぶほど軽くなっていく。 ほんとうに必要なものはもう満ちて在ることに気づいていけるから。 自ずとそうなっていることに感謝できるから。 「からだ」が操体法をとおして感じさせてくれる。 「わたし」が操体法をとおして感じとっているだけでなく、 …
はじめに「からだ」が在る、ということを感じとっていくこと。 それは何も特別なことじゃないし、限られた人の話でもない。 みんな「からだ」と共に在るんだから、 ほんとうはみんなにとっても「からだ」ごと。 健康でいたい、とみんなが想う。 元気でいたい…
少し話は変わって、 「自分」にとって「はじめて」のことを学習するときって、 「自分」にとっては「はじめて」ですよね。 でも、「からだ」側の目線でみてみたら? これまで操体を学んできて、これからの操体を学んでいておもうこと。 操体法に限らず、何か…
(昨日のつづき) 怪我や症状に伴った痛みがどれだけ変化するか。 当時、鍼灸マッサージ師として、駆け出しながらも向き合っていたこと。 「痛みの変化」を物差しとして、臨床効果を判断している自分がいました。 そんな自分にとって、 「痛みは変わっていな…
わたしたちにもそれぞれ「はじめて」がありました。 はじめて操体・操体法にふれた瞬間。 一つのエピソードを紹介します。 操体に興味をもち、 はじめて「からだ」を、三浦先生に診ていただいた日。 密かに期待していたのは、 痛めていた右足の小趾はどんな…
今回のブログのテーマは「はじめての操体法」です。 趣旨とは少し逸れてしまうかもしれませんが、 今わたしたちも「はじめての操体法」と向き合っています。 これまで操体から学んできたこと。 これまで操体法を実践してきたこと。 その中で「からだ」と向き…
岡村さん、一週間のメッセージに感謝致します。 「操体法はシンプルです」という想い。 そう感じ合えるのは、 「からだ」からの問いかけに応えていくから。 今週は久慈から「からだ」と共に瀧澤が担当致します。 一週間のお付き合い、よろしくお願い致します…
「からだ」からのメッセージを感じ取ることは 自然法則を感じ取ることです それは難しいことではありません 「からだ」の学習をとおして ゆっくりと味わっていけばいいのです ゆっくり味わうというプロセスもまた 「からだ」の学習なのです 「からだのうごき…
「からだのうごき」の学習と不可分なのが 「息」の学習 そもそも、目に見えないだけで 一日に途方もない量の空気が 空間と「からだ」を循環しつづけている 目に見えないから意識にのぼらない そんなことはないのです 「からだ」を介してもっとも繊細に 感じ…