東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)

あらためて今⑦

最近、ようやくスタートラインに立っているようなそんな感じがしています。立つと言っても、足に限った話ではないんですが、事実、からだも「立っている」。2日目にも書きましたが、ずっとからだを動かすことが大好きでした。学生の頃も、フリーターの頃も、…

あらためて今⑥

けっこう無意識にやっていることが多いなかで、改めて意識を向けると意識できることもある。気づかないうちに、からだがやってくれていることでも、「感じる」ことはできる。無意識と意識はスパッと切れているんじゃなくて、両方ともちゃんとつなげることが…

あらためて今⑤

昨日のつづきになりますが、操体を勉強し始めた頃、師匠から「オマエは何故呼吸をしているんだと思う?」と尋ねられ、(えっ? 呼吸しないと死んじゃうから?)と思っていたら、「この空間が呼吸しているからだよ」という予想をはるかに超えた答えがやってき…

あらためて今④

意識とか無意識について考え出すと、今の僕では深みにはまってしまいそうなので、意識=気づいている無意識=気づいていないくらいの感じで話を進めたいと思います。気づくとふかーく息を吸っていることがあります。臨床中の空間とか、ターミナル(空港じゃ…

あらためて今③

1日に14回。ある朝、洗面台に立っていると「あっ、今お尻に力が入っている」と必要以上の力みを感じました。そんなに力まなくても立っていられるでしょと。そこで、一日のうちにどのくらい力んでいるんだろうとカウントしてみた結果が、冒頭の数字です。洗面…

あらためて今②

僕自身、「身体表現」にはとても興味があります。ずっと「からだを動かすこと」が大好きだったからです。ただ、操体に出会うまでは、「自分」が主語の「身体表現」だったんだと思います。「自分がからだを動かしている」という感じで、体育の授業や運動の延…

あらためて今①

香さん、一週間ありがとうございます。テーマは引き続き「改めて見直してみる」です。今週担当の瀧澤です。よろしくお願い致します。いよいよ、2019春季東京操体フォーラムまで1ヶ月を切りました。今回のテーマは、昨年の秋に引き続き「身体芸術と操体」です…

憶の快ってなんだろう⑦

操体を日常に生かす。それには、この「からだ」が常に「うごいている」こと抜きには語れないでしょう。般若身経。形をつくるのではなく、感じるプロセスによって形になっていく。毎朝「からだ」にききわけながら、生かされているところから始まる「うごき」…

憶の快ってなんだろう⑥

今も継続していただいている三浦先生との個人レッスン。レッスンが始まったばかりのころは、毎回レッスンの頭に臨床を受けるところからのスタートでした。人にやる前に、まず自分が味わってみないとネ。というわけで、皮膚を介して「からだ」がききわけてい…

憶の快ってなんだろう⑤

調和的な勘、それは何かと共に生きていることを直感的に感じることなのかもしれません。共生といえば、僕たちの消化管のなかにはマイクロバイオータ(腸内に生息する微生物群)が存在し、消化活動や免疫系だけではなく、「微生物語(びせいぶつご)」を介し…

憶の快ってなんだろう④

感覚の源流といえば、原始感覚。橋本先生はこんなふうに書いておられます。 からだの設計にミスはない―操体の原理 作者: 橋本敬三 出版社/メーカー: たにぐち書店 発売日: 2002/12 メディア: 単行本 クリック: 24回 この商品を含むブログ (24件) を見る 「自…

憶の快ってなんだろう③

生理的欲求、いわば「からだの要求」といえば、生まれたばかりの頃の僕らは、それはもうシンプルに反応するというところからスタートします。原始反射というこの時期特有の反射もありますが、それは「刺激に対する反射」という単純な生理だけで語られるよう…

憶の快ってなんだろう②

からだの奥から「ホッ」とする感じ。緊張から弛緩への状態変化が生み出す感覚とも言えるかもしれません。 しかし、それがからだの奥からということになれば、筋骨格系横紋筋系運動系の視点だけでは見えてこないでしょう。この辺りは「楽」では決して味わえな…

憶の快ってなんだろう①

香さん一週間ありがとうございます。今週担当の瀧澤です。引き続き、テーマは「憶の快」です。よろしくお願い致します。ここ最近、久慈ではつよい風が吹いています。冬といっても晴れの日が多いので、風がなければ気温が氷点下近くでも耐えられないほどでは…

共に生きる

自分と向き合うということは、「自分」で完結せずに、その「自分」を生かしてくれているものにも目を向けることなんじゃないかと感じています。僕らは何と共に生きるのかこの問いが抜けてしまうと、操体における身体表現は運動としての身体表現で終わってし…

黒いウサギ

幼稚園の頃、あれは確か授業参観日。各々が画用紙に描いたウサギを見て、あれ?自分だけなんか違うと感じました。周りのみんなは白やピンクのウサギを描いていたのに、僕が描いたのは黒いウサギ。いつか図鑑で見たアマミノクロウサギを思い出し、「黒いウサ…

不快を避けたから

橋本先生の時代においては、操体法は「楽な動き」を選択してきました。時代が変わり、操体は「楽」から「快」へ、そして、さらに……という具合に常に進化し続けています。その地点から「楽な動き」というものを振り返ってみると、ある疑問が湧いてきます。そ…

原始感覚

「原始感覚」……「からだ」にとっての快・不快を ききわける能力。またの名を勘。橋本先生は、「からだの設計にミスはない」の中で「原始感覚」について触れておられます。この「原始感覚」について、「天来の感覚」、「神からの授かりもの」と書いておられま…

僕らのゴール

「大人」を最終的なゴールに据えて人間の成長を考えるともったいない気もします。「大人」になるにつれて身に付けていく「息」、「食」、「動」、「想」の過程にあるものは「自分の意思」と集団の中でのルール。これも、欠かすことのできない「環境」との関…

飽くなき好奇心

香さん一週間ありがとうございます。 今週担当の瀧澤です。引き続き、テーマは「常識を疑う目」です。よろしくお願い致します。「常識を疑う目」を持つ人間の言動は、時として非常識のレッテルを貼られることがあるかもしれません。しかし、「常識を疑う目」…

身体運動から身体芸術へ

「操体的なからだ」とは何だろう?「からだのメッセージ(感覚)をききわけられるからだ」なのかもしれないし、「からだの使い方、動かし方の作法を身に付けたからだ」なのかもしれない。Wikipediaによると、芸術とは「表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互…

サンプリングと温故知新

昔から一リスナーとしてヒップホップに魅力を感じているが、その一つに楽曲制作におけるサンプリングが挙げられる。既存の曲(原曲)の一部分を切り取ってループさせたり、つなげたりしてできた曲は、原曲に対するリスペクトもありながら、さらに新たなもの…

再びレオナール・フジタ

先日、東京都美術館で開催されている「藤田嗣治展」に行ってきた。藤田の生涯や作品もさることながら、やはりあのトレードマークであるおかっぱ頭と丸メガネ、ちょび髭には目を奪われる。彼に興味を持つようになったのが、切りたての髪を見た仲間の「あっ、…

雨とカタツムリ

雨の日も坂道を歩いてみる。いつもなら、道端の草花に密集しているカタツムリが雨に乗じて、道の上まで這い出してきている。カタツムリは湿気が好きだから(というより乾燥に弱いから)、雨の日は悦んでいるものとばかり思っていたが、かえって溺れてしまう…

トンボと小指

朝の日課で家の前の坂道を歩いていると、トンボを見かけるようなった。季節は夏から秋へ移ろっている。ある日、手をかざしながら空を見上げていると、一匹のトンボが左手の小指にとまった。10分の1か。センスがあるトンボだなと、なんだか嬉しくなった。自分…

空と朝散歩

最近の日課は、朝起きたら家の前の山に続く坂道を登りきったところで、その日の空を眺めること。ゆっくり歩いて、足から伝わってくる感触を感じながら、その日のからだを確かめる。ホッと一息つきながら空を見上げて、その空を見ながら何を感じているのか確…

ワンクッション

香さん、一週間ありがとうございます。今週担当の瀧澤です。テーマは引き続き「可能性」。よろしくお願い致します。「そうかもしれないですね」人と話していて、口に出さなくとも、この言葉が浮かんでくるときは調子がいい。会話が建設的に広がっていくよう…

今日も息を吸い込んで

とあるアコーディオン操者の「日々の賛歌」という曲を初めて耳にしたのはもう何年も前のことです。初めて耳にするのに、妙に懐かしく、アコーディオンの音もいいなあなんて感じていたのを覚えています。「ゆっくり息を吸い込んで」こんな歌詞が出てくるんで…

三茶の夜

月一の勉強会に合わせて上京した時の密かな愉しみが三茶の夜散歩。自然の中を歩くのもいいですが、商店街の喧騒や住宅街の静けさも僕にとっては魅力的です。三茶はその辺のバランスが良くて、日常の何でもない感じがただよう雰囲気に飽きることがありません…

不意打ち

先日、一枚の写真を見て、ふいに込み上げてくるものを感じました。感動と言ったらいいのか、何て言ったらいいのか、逃げ場を失ったそれが、その瞬間に込み上げてきて、 「なんで今?」みたいな感じでやってきました。 不意打ちを食らったような感じだったん…