臨床の場ではいつも、その人の人生に関わらせていただいていると感じています。
からだのご縁をいただいて、操者と被験者、それぞれの人生が交差しているその交差点で、からだがききわけている「快」を共有していく。
実際にやってみてどんなふうに感じられるのか、続けてみてどんなふうに感じられるようになっていくのか。
「自分」が基準では感じられないことも、「からだ」が基準になると感じられるようになってくることがある。
それぞれの生活の場であっても、それは一緒です。
初日に、だれだって呼吸はするし、ごはんも食べるし、からだを動かしたり、言葉(ジェスチャーも含めて)を発したりして生きているでしょう? と書きました。
環境の捉え方をシンプルにして「からだ」を基準にしていけば、おのずと、これらの営みも「自分」の営みから「からだ」の営みになっていく。
操体法をとおしてそのようなことを伝えられるのも、臨床の場で交差しているのはお互いの人生だけではないからです。
操体臨床で交差しているもう一つの線、それは、「生命」の自覚につながる縦軸の線です。
生活の場に戻っても、この縦軸の線とつながっていけば、そこは「からだがききわけている」空間となって、「自分」の意識と「からだ」の意識は重なっていけるようになる。
「自分」と「からだ」の違いに気づくことからはじまり、「からだ」と「自分」のいい関係で続いていく健康維持増進が具現化していく。
こういったことを日々、からだからのメッセージとしていただいていると、方法としての操体法ではなく、法則を感じとっていく操体法、と捉えるほうがしっくりくると感じられてくるのです。
一週間お付き合いいただき、ありがとうございました。
春のフォーラムでも、縦軸が交差する空間でお会いできますように。
バトンは寺本さんに引き継がれますのでよろしくお願い致します。
明日からもどうぞお愉しみに。