鼻腔をとおして、十分に息が吸え、呼吸が循環していくこと。
「息がしやすい」という感覚は、空間とからだをつなぐ呼吸からのメッセージでもあり、「からだ」にとっても、「自分」にとっても「快」であると感じられてくるもの。
臨床においては、操者自身がまずそのことを感じ取れているかどうかが重要です。
前回のブログでは一つの例として、頭の向きによっては「感じがいい」とからだにききわけられる向きがあり、その向きは「息がしやすい」向きでもある、ということを書きました。
これは、臨床の場でこれからやろうとしていることがほんとうにからだの要求にかなっていることなのか、という問いに応えていく一つの姿勢でもありますし、生活の場にもつながっていることでもあります。
こういったことは、症状・疾患だけに意識を向けていてはみえてきません。
操体臨床でみているものは、症状・疾患を生みだしている火元であり、さらにその火元を生みだしている火種です。
火種に気づいていくこと。
火種が解消されていくこと。
なるべく火種をつくらないこと。
臨床空間から生活空間に戻っても、「からだ」がやってほしいことと、「自分」のやっていることが重なっているかどうか。
呼吸に意識を向けてみれば、「息がしやすい」ということも一つの目安となるのです。