からだがききわけている環境において、空間と想念は深くつながり、感謝はそこから生まれてくる。
生かされている実感を積み重ねることで、このような意識になっていくのも、健康維持増進における想念の変化だと思います。
生かされている実感は、何も特別な体験を必要とするわけではありません。
普段当たり前のように行っていることの中で、「ちょっと」ずつでも「からだからのメッセージ」を感じとっていくことです。
つい先日も、臨床後に「以前は体調が良いとか、悪いとかしか分からなかったけれど、最近は(趣味で)絵を描こうとしたときに、手に力が入って強ばっていることに気づくときもあって、そんなときは無理してやらなくなりました」というようなことを話してくださった方がいました。
症状として感じられる手前で、ちょっとしたからだの変化に気づいていく。
そういった気づきが、直ぐに生かされている実感につながらなくても、ちょっとずつ積み重なっていくことで、あるとき意識に芽生えることは充分に起こりえることです。
からだからのメッセージと生かされている実感をつなぐ「ながれ」がある。
その「ながれ」の中でからだが悦ぶ呼吸やうごきを感覚し、それによって現れるつくりに相応しい意識や言葉になっていく。
点と点が線でつながり、生かされている実感へと辿り着く「ながれ」はあり、それらが重なる立ち方もある。
臨床においても、生活においても、そういった「ながれ」をちょっとずつでも感じとっていけるような指導の在り方がこれからはより大事になってくると感じています。
呼吸やうごきをとおして生かしてくれている法則性に気づいていくこと。
法則性によって表現されていることを、からだにとっても、自分にとっても「快」だと感じられるようになっていくこと。
それらを生みだしている空間に意識が向いて感謝の念が湧いてくること。
こういったことが健康維持増進の姿なのではないかと、最近では感じるようになってきています。
2024年春季東京操体フォーラム開催致します。