つまり、環境や操者のスキルによっては「きもちのよさ」を聞き分けられないこともあるのです。
これを知らないと「操体の動診には、必ず快が伴う」という勘違いがおこります。
私も経験がありますが、一度この考えにとらわれてしまうと、それを手放すのが大変です。
一人で操体を行う場合に顕著です。
何人かいらっしゃいましたが、
「きもちのよさが聞き分けられないこともあり、それも診断の1つですよ」と言っても
「かならずきもちよさがある」と言うのです。
何故だかよく分かりませんが、私の記憶だと、50代以上の女性で、自分でも体調を改善するために、色々なことを試している
方が多かったように思えます。
ご自身の体調を改善したいという強いお気持ちはよく分かるのですが、大抵は「セルフケアができる以前の健康度合い」で、まずは我々の施術なりを受けて頂き、セルフケアが可能な健康度にまで戻してから、のほうがいいと思うのですが、
「操体は自分でできる(つまりプロの手を借りたくない)」という強固な信念があるようで、
「もうちょっと良くなるまで、我々の施術をうけながら、コツを覚えたらどうでしょう」と言っても
「いえ、自分でやりたいんです」ということになります。
こういう方が必ずやるのが
「きもちのよさを探す(さがして動く)」ということです。
動診を行ってみて、快適感覚をききわけられない場合もあります。
理由は色々ありますが、1番多い理由は、そもそもやり方を誤っていることが多いです。
きもちよさは絶対ある、という思いこみで色々トライ
(誤ったやり方をやっているので)きもちのよさは聞き分けられない
聞き分けられないなら、色々動いて「きもちよさを探す」という思考回路になるのです。