1週間私にとっての「まるごと操体」を考えてみました。
今度の秋のフォーラムのテーマは「まるごと操体」。
操体は何でも入る大きな優しい器です、と言いますが、
何でも突っ込んでごった煮にするわけではありません。
色々入るけれども、可食部分は限られている。
「色々なやり方があっていい」といいますが、
「操体」として結果を出すことも必要です。
色々なやり方をやってみても、受ける前よりも悪化したり、本人に不安を与えては本末転倒です。
「可食(有効な部分、食べられる部分)」
そこが大事です。
そういえば「まるごと」で思い出しました。
昔は「サンマはワタが苦くて美味しい」なんて言いましたが、今は、サンマも水銀を摂取しており、内臓に水銀が溜まっているので、内臓は食べない方がいい、と言われているそうです。
天然自然の法則は変わらないけれど、環境の変化に沿って刷新できるところは刷新するのことが必要です。
正體術、第一分析の時代は
「動かしてぶっこわしたので『楽な方に動かしして治す』」で足りました。
その後、環境の変化によって
「楽」では対応できなくなってきた。そこで登場したのが、「治す前に癒しが必要である」、つまり「きもちのよさ」です。一つ一つの動きにきもちのよさがあるのかききわけ(動診)、あればそのきもちのよさを味わう(操法)という第二分析が登場しました(三浦先生創案)
なお第一分析と第二分析の間に位置するものとして、畠山が構築した「D1'(ディーワンダッシュ)というものもあります。
そして第一分析から第二分析に移行する際に「やっていることは第一分析なのに、言葉だけは「きもちのよさ」を指導する、つまり、きもちのよさをききわけられるようなことをやっていないのに「きもちいいですか」と聞き(言葉と行動の間に大きな齟齬が生まれている)、被験者を迷わせる「迷走分析(三浦先生命名)」がはびこることになりました。
現在でもこの「迷走分析」を行っているケースは数多く観られます。
特徴は「どちらが気持ちいいですか」
「きもちよさを探して動いて」
「楽な方にきもちよく動いて」
というような表現を使っていることです。
これらの言葉を使っている場合は「迷走分析」であると思って間違いありません。
さらにその後、動けない患者(急性期など)の存在により「動けない」というのは、操体の盲点であるということがわかり、三浦先生が橋本敬三先生の言葉の中からヒントを得て「皮膚」へのアプローチを生み出しました。
これが第三分析(渦状波)です。
そしてその後、呼吸を診断法に用いる手法が三浦先生によって構築されました(第四分析・息診息法)。
現在はその次のステップ「新重心理論」の操体にシフトしています。
新重心理論以降は、まだ書籍化されていません。
これを創案者、三浦寛先生から直接聞けるのが、秋の東京操体フォーラムです。