東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「楽」について

 二日目は「楽」について、考えてみたいと思います。よろしくお願いします。
 皆さんは「楽」という言葉をどのような時に使いますか。きっと「楽」という言葉の使い方を考えれば、答えはきっとでてくるはずです。
 「治療前より楽になった」、「右に動くより左に動いたほうが、動きやすい楽だ」、「じんせい〜楽ありゃ〜、苦もあるさぁ〜」など、「楽」という言葉を使う時には、比較する対照があって生まれる言葉ではないでしょか。
 操体の創始者である橋本敬三先生は「楽な方向、動きやすい方向に可動極限まで動かし、2〜3秒たわめて(動きをとめる)瞬間急速脱力させる」(第一分析)という臨床をされていました。ところが、85歳のある日(1982年)「きもちのよさをききわければいいんだ。きもちのよさで治るんだからな」と、三浦理事長に言われたそうです。その後、三浦先生がその意志を引き継ぎ、「きもちのよさで良くなる」という真理の追究を続けた結果、「楽ではなく、快適感覚をききわけさせる動診(診断)と操法(治療)」(第二分析)や、刺激にならない皮膚への接触による感覚のききわけと操法(第三分析)へと進化させました。
 橋本先生は臨床結果がでていた「楽」を通す第一分析から、なぜ「快」であるきもちよさにシフトチェンジするよう考えられたのでしょうか。「快」にあって「楽」にない物とはなんでしょうか。
 比較対照の「楽」である「楽な方向」、「動きやすい方向」に動きを通すということは、筋肉・靭帯・関節などのからだのゆがみの左右差を表し、第一分析によってその歪みを正すというように、からだの器である肉体のみの反応に制限されるのではないかと考えます。「楽」を通して第一分析を行うと、圧痛硬結を瞬時に解消するには効果的であり、デモンストレーシュンのような場面では注目を集めるかもしれません。ですが、からだはもっと複雑であり、例えば痛みは身体(組織)が傷ついただけで起こるものではなく、刺激が侵害受容器で感知され、その情報が電気信号に変換されて、神経を伝わり、痛みの情報が大脳で認知にされて、初めて「痛み」として認識されます。また、鈍い痛みは大脳辺縁部で記憶されたり、情動などが関係して脳内で痛みをつくり出す(ニューロマトリックス理論)こともあるそうです。痛みだけでなくからだの約60兆もの細胞などの働きからみても、からだの器である肉体ばかりを瞬間的に変化させても限界があるのではないでしょうか。
 「楽」を求めるということは、瞬間的な効果を求めるということになり、からだ全体の効果を持続的に求める場合には、「楽」では限界が生じることに、橋本先生は気付かれたのではないかと思います。
 操体法の第一分析に限らず、多くの臨床家や治療法の中で、「楽」という呪縛に囚われているために、からだの受け皿である肉体ばかりに目がいってしまい、筋肉・靭帯・関節のアプローチに留まってしまっているような気がします。からだの形が正されれば、からだの問題がすべて解決するのでしょうか。目で見えている問題は、からだが抱えている問題のほんの一部分にすぎないのではないかと思います。
 今日はこの辺りで・・・。ありがとうございました。