東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

今回のテーマは「楽」と「快」

 今日から一週間は佐助の担当となります。今回はブログのテーマとして、「快と楽の違いについて」というテーマをいただき、平成23年を締めくくる一週間を僕とお付き合いよろしくお願いします。
 皆様はこの一年をどのように過ごしましたか、今という時間を大切に、意識とからだをどのように使っていますか。「楽と快」も意識とからだの使い方ひとつで、「楽」と「快」はまったく種類が違うということに気が付かず、意識とからだを迷路のように混沌とした状態で悪循環に陥って、ただ時間が過ぎていることがあるような気がします。
 僕も操体を学ぶ以前は、「楽」と「快」の違いについて考えることもなく、むしろ「楽になった」という「楽」という言葉に反応していて、「快」はリラクゼーションの分野と勝手に決め付けていたような気がします。その中、からだの連動が学びたいと考え、三浦理事長が講師として指導されている操体法東京研究会 操体指導者養成コースを受講することになりました。まず言われたのが、「楽ではダメ!気持ちよさがからだを治してくれる。だから第三者が治すことまで関与するな!」です。当時の僕は本当にビックリです。この理由は操体を学ぶにつれ解決されました。からだの機能や効果からも、「楽」と「快」はまったく異なる反応になるのです。理由は後日のブログで、「楽」と「快」を分けて書きたいと思います。
 多くの臨床家が痛みという主訴に対して患者さんのからだと向かい合い、臨床家が患者さんのからだをいじる行為によって治療をしていると思います。ここに落とし穴があるような気がします。痛みは感覚なのに対して、からだをいじることで、筋肉・靭帯・可動域・関節・バランスなどの受け皿となるからだばかりに注目し、感覚に対するからだの大切な機能について、目を向けていないことに問題があるような気がします。肉体と感覚、意識と無意識が混合しているからこそ、ここに「楽」と「快」が混合して使われている原因があるのではないかと、最近僕は感じています。
 からだの感覚である快適感覚には魔法のような効果があります。この効果を引き出すには、「楽」と「快」の違いを理解・区別することが、一番の近道だと思います。
 「快」という感覚は、この世に誕生したすべての生き物に備わっている最も素晴らしい感覚だからこそ、「からだに聞き分ける」というキーワードを大切であり、からだの感覚を聞き分けることで、からだ・イノチと向かい合ってもらいたいと思っています。からだに聞き分けた「快」には、きっと想像もできないようなからだの反応に繋がると思います。

(写真は長野県観光協会より)
 今週は「楽」と「快」について、僕の視点からいろいろ書いてみたいと思います。 
 今日はこの辺りで・・・ありがとうございました。