呼吸はわたしたちが生きるうえで欠かすことのできない営みだけれど、同時に環境とからだをつないでくれているメッセージでもある。
そんなふうに受け取ることができるのも、「自分」の呼吸ではなく、「からだ」の呼吸に気づけるようになるからです。
今月末に開催される春季東京操体フォーラムでは発表の機会をいただいており、「アプローチの前にできること」というテーマで準備を進めています。
どうしてこのようなテーマを設けたのかといいますと、一つには臨床において常に問い続けていることがあるからです。
それは、臨床の場でこれからやろうとしていることがほんとうにからだの要求にかなっていることなのか? という問いです。
操体法は、被験者(患者さん)のしてほしいことや、操者(施術者)のやりたいことで臨床が成り立っているわけではないんです。
操体臨床を成り立たせてくれているのは、臨床空間という環境そのものと、からだの要求にかなうこと。
そして、その基準において、「息がしやすい」という感覚が大切になってきます。
操者自身が鼻腔をとおして、十分に息が吸え、呼吸が循環していくこと。
それによって被験者自身も鼻腔をとおして、十分に息が吸え、呼吸が循環していくこと。
臨床空間という環境の中、呼吸の変化を感じとっていくことに必要なことは、特別なアプローチやテクニックではありません。
環境とからだをつないでくれているメッセージとして、呼吸そのものの「性」を「からだ」の呼吸として素直に受け取ることです。