おはようございます。
操体の臨床は、操法をとおして良くなったから、それで終わりというのではない。
日常生活でのアドバイス、からだの正当な使い方を生かした日常生活動作を提案するのも大切な事だと思う。
操法後に被験者と向き合い、日常生活でのからだの使い方について「こうしたら良いのでは」という提案をした後、ハッとする時がある。
それは、自分でも気づけていない事を、自分が喋っているという事。
普段の日常での会話というのは、自分が知っていることを喋り、自分の知らない事、気づいていない点については、相手に言ってもらって知ったり、気づいたりしているという感じだと思う。
それと違い、相手に喋っていて、自分が気づけていなかったことや頭の中にないものを喋っている自分が居る。
からだの動きというのは、呼吸、目線、意識の仕方などで変化する。
簡単そうで奥は深い。
自分で分かっているつもりでも、生命記憶を宿し霊性を持つからだからしたら分かってないと痛感させられる事も度々である。
被験者の方に、「ここをこのようにすれば」と自分で言っていて、自分が気づかされる。
これも、からだからのメッセージであり、それまでバランス制御に向けて対話していた被験者のからだと自分のからだからのアドバイスなのであり、からだのことばが言葉に変わったものだと感じる。
からだに感謝なのであります。
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
来週は畠山裕美先生の担当となります。
どうぞ、おたのしみに。