からだからいただいて、感じられることがあります。
本人の不満とは関係のないところで、からだに「快」は満ちている、ということ。
臨床の空間も一つの環境です。
操者のからだも環境。
被験者のからだも環境。
これだけあれば、もうわたしは要らない。
置かれている状況やからだの状態によって、操者のわたしも被験者のわたしも色々感じるかもしれない。
けれども、からだはからだの方でききわけている。
からだがききわけていることをいただいて、味わっていると、その環境は快だと感じらてくる。
臨床の空間は、うんと広がってくる。
からだもうんと広がってくる。
そして、重なってくる。
その重なりを生んでくれる「息」という環境は感謝そのものだということも感じられてくるのです。