からだからいただいて、感じられることがあります。
誰かがそういったからそうなのではなく、からだで感じられたからそうなのだ、ということ。
迷ったときは初心に返れ、と言いますが、その初心はどこにあるのか。
わたしの中にあるのではなく、からだの中にある、と想っています。
生命体としての初心に還る。
からだがききわけていることに想いを重ねて、共に器になっていたい。
「息」がからだに満ちてくることで生まれる「想」がある。
わたしが思っていることとは関係なく、生まれてくる「想」がある。
生かされている環境の中で、息、食、動、想を営んでいく。
ということも、生かされている環境が息、食、動、想になっている、と感じられてくるのです。