東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「常識を疑う目」より・・・どう見える?

おはようございます。

 

一般的に、目で見るという行為は、メカニズム的にカメラのような仕組みとその情報が脳に伝達されて見ている、という説明がなされる。

しかし、生体はカメラと違う。例えば、アモーダル補完というのがあるが、これは対象物の一部がレンズに映りこんでいなくとも、その欠けた部分を脳内で補完して全体像を認識するという事。

私達は、単に目に入るものだけでなく、脳内で解釈が加わったものを認識しているという事であり、脳の視覚皮質の活動は、見えている物体に対してのみ生じるのではなく、見えていなくともその存在を感じるだけで生じるのだという。

 

私達の見る行為は、一瞬だけを捉えるカメラとは違う。常に時間、空間との関連性がある。
どう感じ、脳内でどう解釈するかが重要となるが、それは視覚だけでなく、他の触覚、聴覚、嗅覚、味覚などとも関連した感覚的積み重ねが大切であり、それがイメージにつながり、目に入るものとそのイメージとで、見たものを認識しているのではないかと思う。

 

そうなると、良いイメージを持つ事が非常に大切となるが、その時に重要なのが快、不快の感覚をききわける事であり、逆に支障となるのが知識だけの固定観念や常識なのではないだろうか。

 

例えば、観葉植物のちょっと干乾びた葉っぱを見て、これはどのような色ですか?と尋ねたとする。

ある人は、そんな当たり前の事わざわざ聞くな、といった表情で「ちょっと茶色がかった緑色です」と答えた。

しかし、ある人は「これは水分が足らずに不快な状態に陥っている色であり、水をあげて元気にしてやった方がいいですよ」と言って、水を汲みに行った。

 

治療家、療法家、臨床家として、どちらの見え方が支持されるべきでしょうか?

 

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