おはようございます。
昨日は「からだにききわける」ということについて、不快感覚の捉え方から書きましたが、やはり積極的にききわけるべきは快適感覚なのです。
快を求めるからこそ、からだの不快のサインにも敏感になれ、快を識るからこそ、不快から快への転換が図れる。
また、快を識るからこそ、自分だけでなく他人様が不快感に苛まれていれば、なんとか快の方向性に導く手助けをしてあげたくなる。
一時しのぎではなく、本人と本人のからだが調和するよう、からだの要求を満たしたバランス状態になるよう、手助けしたい。
身心が病み、不快感覚をアラームベルまで増長させた状態だからこそ、からだは「こうしてほしい」という要求を強く表します。
しかし、往々にして不快感に苛まれている本人はその要求を感じとれない。だから、そのからだの要求を満たしてあげたい。
快適感覚を識るからこそ、本人のからだの求めが、こちらのからだにヒビイテくる。