東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

ひびき③・・・昨日の補足。

おはようございます。

 

昨日のブログの最後に「からだにききわける」ということを書きましたが、これについてはもうすこし書いておきたいと思います。

 

「からだにききわける」この根底には、元々備わる原始感覚で、からだにとって気持ちがいいのか、悪いのか、快、不快を感じわけるということがありますが、単に快か不快かを感じわけるだけでなく、どう気持ちがいいのか、どう気持ちが悪いのか、をからだにききわける事が肝要です。

 

からだは常に自分と共に在り、自分に対してサインやメッセージを送ってくれています。

そのサインやメッセージは言語で伝わってくるものではなく、言語の枠にとらわれないある種ヒビキとして伝わるものであり、その受け止め方で一人の人間のバランス現象、ひいては人格形成、その後の人生にも影響を与えます。

 

例えば、痛いのは誰だって嫌で、不快だと思います。しかし、その痛みはからだからのサインであり、アラームベルでもあります。

ただのサインではなく、からだからの有難いサイン。この世に存在するには、からだが無ければ、その存在は無いのですから。

より良く生存する為に、必要不可欠なサイン。そういった捉え方もできます。

 

からだだって、それぞれが相関相補しバランスをとって、自分に合わせてくれています。しかし、どうにもこのままではワタシも良くないがアナタの為にも良くない、そう判断してサインを送ってくれているのです。

そして、バランスが崩れて間に合わなくなるほど、生存は脅かされますから、そのサインはアラームベルへと変わり、けたたましく鳴り響くようになるのです。

 

バランスを崩し、からだの不調が重篤さを増すほど、痛みの不快感覚も強くなるのですから、そうなる前に微細なサインの段階で、からだの求めに耳を傾けるという姿勢が必要です。

からだからのサイン、それはからだの身になってこそヒビクものであると感じます。普段の生活態度に懺悔する気持ちにもなりますが、響き合えれば気持ちがいい。その上で有難く出来ているんだなぁ、と感じる事ができ、生活習慣の改善にもつながります。

 

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